壺の中の泉

きらめきたい

まるい地球に奇跡が生まれ/ わたしとわたしの好きな役者とヘタミュの話

 こんなにしあわせなことがあっていいの?
 わたしはヘタミュが大好きです。それはもう、たまらなく。わたしにとっては奇跡のかたまりみたいな世界。
 これから支離滅裂な文章を書きます。
 すべての文章に、「これは主観ですが」という前置きがあります。もしこれを読む方がいれば、それだけは分かって読んで下さい。これは事実ではなく、わたしが感じたことです。

 ヘタミュに関して、わたしは原作ファンであり俳優ファンです。推しが推しを演じる世界。奇跡でした。いや、正直言うと初演に触れる前は"無理"だと思っていました。あの頃の気持ちなんて今はどうだっていいので、そのあたりは割愛します。けれど、これだけ。
 例えば廣瀬さんのことは薄ミュやメサイア、ドグマグなどを見て元々好きでした。けどね、ヘタミュの前後で明確になにかが違う。なんだろう。ほんとうに、なんだろうね。(※これは幕張の時に書きました。大阪での挨拶で、少しだけ何かが分かりました。)
 でも今更そんなことを考えるのもばかばかしい。だって、今という世界は唯一で、様々な奇跡が重なってできているんです。わたしはとんでもない奇跡を享受した。それだけです。

 思えば、ヘタミュというジャンルは世界に愛されているんじゃないかって。すべての歯車が噛み合ったからこそ、幕張の地はたくさんの幸せに満ちていました。

 これはまるっきり私情なんですが、わたしは財力がありません(私情)
 これはみんな同じなんでしょうけど、ほんとうにチケット1枚1枚の価値が重くて。生で観るのは1回だけだから、その一瞬を本気で楽しもうって思うんです。何回か通う時も同じですが、やっぱり"1回だけ"となると話が違う。しかも世界一と言えるほど大好きなジャンルで。どうして通えないんだろう。なんども悔しい気持ちになった。通えるチャンスって、夏休みと春休みしかないし、いつも春に稼いだ分で夏に行くから、今まで通ったものはだいたい9月なんですよね。完全に私情です。
 一番思い入れがあるのは第二弾です。なんとか大阪に滑り込んで観に行って……東京に行く方がいろいろと安く済んだし、行けたはずなのに、なんで大阪に行ったのか未だに謎です。まあおかげで「いけないお嬢さんだ」の回に当たったから、そういう運命だったのでしょう。
 大阪の前に配信で予習したなあ……ピロティで溢れる幸せを抱えながらライビュの譲渡を探しました。新感線で博多に帰ったその足で映画館に行ったのは良い思い出です。朝早かったから徹夜明けだったのにヘタミュパワーで頭は冴えていました。
 ライビュ会場は一体感がすごかったのを覚えています。スクリーンが真っ暗になったあとシアター内に響く拍手は今まで感じたことのないものでした。ヘタミュ、すごいなあ……と思ったのはあの時でした。

 さて、ヘタライの話をします。ネタバレ配慮していません。
 これまた私情なんですが、実は行けるか行けないかの瀬戸際で、いろいろと世界がうまく回ってくれたので無事幕張に行くことができました。行けてよかったーーーー!

 全世界がいりりすの女なのにふら…すに取られたーー!っていうオチでした。ヘタライの感想第一声がこれでした。いやそういうことじゃないでしょって思いますけど、だって事実なんだもん…みたいな……(?)ああでも、大阪はいろんなものを見た。どのくにもみんなのもので、彼らのもの。
 廣瀬さんのことをファンサの鬼*1だと思ってるところがあるんですが、撃ち抜かれすぎてしぬかと思いました。初っ端からアクセル全開のパフォーマンスで、あまり記憶にございません。いりりすそんなにかっこよかったっけ…?!いやはや、ほんっっっとうにとてつもなくかっこよかったです。終わった後しつこいくらいかっこいいよ~~~って喚いていました。かっこいいです。
 まるかいて地球の時にカメラに向かってウインクされた時ほんとうに悲鳴が声になりました。そういうとこだぞ!ファンサの鬼だ~~って思います。こういうのが終始続いていました。ライブってすごい。
 薄ミュLIVEの映像を観た時からこのひとのライブパフォーマンスを浴びたいって思っていました。3年越しに叶った。大好きなジャンルで叶いました。幸せだなあ。

 2年半前のわたし、覚えてる?今、桜のペンライトを振っているよ。いろいろな気持ちが溢れている。
 舞台化が発表されて、首を傾げたよね。でもキャストが素晴らしいことはすぐに分かって戸惑った(笑)
 評判のよさに流されてなんとなく触れて、そうしたらもう深い深い世界だった。
 第2弾はアルマダ領だったわたしにとってはたくさん知識を集めてハマった大航海時代の話だからって、すごく思い入れた。そうしたら兄弟に持っていかれて、なんかとりあえずすごかった。
 あれからいろいろあって、第3弾はキャスト変更さえ危惧した。あの人とかあの人なら許せる、とまで考えた。まさかあのヘタミュがキャスト変更するとは思えないっていう気持ちは、今なら確信できるけれど、あの頃は半信半疑だった。ヘタミュは最初からこんな風にかけがえのない唯一無二の愛に溢れた家族みたいな作品だったわけではなく、少しずつ歩んできて今があるのだと思います。大阪での最後の挨拶で、SWの時は、GWの時は、NWの時は…っていう話をキャストから聞いて、そう思い出しました。今、初演からの自分を振り返ると、気持ちが変わっているんです。ガラスのコップに、少しずつ注がれていくように愛が溢れたのかなあって。
 
 ヘタミュは奇跡の作品だと思っています。
 最後のライブは1時間20分押しでライビュは中継終了するぐらいです。明らかに、他とは違うって胸張って言える。胸張って…って言い方はなんかおかしいけれど。物理的に、圧倒的に、何かが違う。
 こんなにもかけがえのない作品になったのは、たまたま集まった"人"の歯車がすべて噛み合ったからだと思います。何か少しでもずれたら生まれなかった。だから奇跡なんです。誰かがこの愛のために頑張ったわけではない。だから、ヘタミュは神様が愛してくれた、奇跡なんです。

 そんな奇跡のジャンルで、人生を変えられたのはキャストの皆さんでした。ただの一ファンがこんなこと言うのはおこがましいですが。
 ヘタミュがあったから今がある人、たくさんいる。ヘタミュがあってよかった。
 わたしは廣瀬さんのことが好きなので、これに関してはヘタミュに感謝してもしきれません。ほんとうによかった。
 最後の挨拶のことです。"そんな時にヘタミュに出会った"のくだりを聞いた時に、もうなんかすごく抑えきれなくて号泣してるのに涙は出てこなくてへんな嗚咽だけ出そうになって、わけわかんないよね(笑)
 わたしが聞いたこと、見たもの、感じたことはどう頑張っても言葉にはできません。スクリーン越しだったけれど、少しは感じ取ることができてたらいいなあと思います。誰かが話すことを100%理解するなんて無理じゃないですか。今まで見た作品やインタビュー記事で知り得たことを踏まえてやっと噛み砕いている。とっても繊細でガラスのような言葉を聞かせてもらったな、と思います。
 だからまあここでは何も書きません。ちょっと書いちゃったけれど(笑)
 わたしは事実であることとそうでなくてもプラスであることならなんでもいいと思っているから、こういうことを言います。分かる人が分かればいいと思うし、レポを見ただけでマイナスに捉えるのはやめてほしい。レポは事実ではありません。これはヘタミュに限った話ではないけれど、声と文字はそもそも異なるものだから、その時点で違っているんです。声には色と音があります。
 大阪で起きたことは全部円盤に収録されるから。夏発売です。買って見てね。大阪ライブ映像としか書かれてないから夜公演とは限らないけれど、収録されるのは夜だと信じています。
 キャストの皆さん全員の言葉が重たかった。これだけ長々と書いて何なのって感じではありますが、廣瀬さんだけではなく、キャストの皆さんが全員ヘタミュのことを特別に思っていることが分かりました。言葉ってとても難しくて、その強烈さとか聞く人の気持ちとかで、印象に残る部分や切り取られる部分が偏ってしまう。でも一歩引いてもう一度見渡してみることは、どんなことに関しても大切なんだと思います。
 わたしは舞台は演劇だと思っています。いやすごい当たり前のことで何なんだって感じですが。その演劇とは何かっていうのは分かんないですけど。でも芸術だな、とは思っていて。夢の国とは違う。そういうものもあるかもしれないけれど。舞台上が全てで、見ているものが全て。そんな中でヘタミュは、うまく言葉にできないけれど、それ以上の何かがそこにあって。奇跡という名前のエネルギーが存在するなら、きっとそれだと思います。大阪の最後の挨拶で、キャストの皆さんが話してくださったことや、あの時間は、舞台作品という枠組みを超えた何かだったのかなあ…なんて考えています。ヘタミュはひとつの概念なのかな。唯一無二の奇跡だと思います。

 わたしは廣瀬さんのお芝居が大好きで、ステージパフォーマンスが大好きです。
 幕張楽に聞いた、ヘタミュのことを「誇りに思っています」という言葉が突き刺さる。
 ヘタミュがあってよかった。ほんとうによかった。それしかないです。だってなかった時のことを考えると恐ろしくて。
 いつも期待を超えてくれて、"前の方がよかった"と思ったことが一度たりともない。これってすごいことだなと思います。
 いつ見ても、さらに好きにさせてくれるんです。見たあとぜったい引きずるの。好きだなーって気持ちを毎回溢れさせてくれる。すごいよねえ。そんな風に思わせてくれるのは今のところ廣瀬さんだけです。今こういうことを書いてるのもびっくりなんですけれど…人って誰を好きになるか分かんないな-(笑)
 いやはやほんとうに、ヘタミュがなかった時のことを考えると恐ろしいですね。これ、何度でも言いそう。わたしは彼の選んだ道を応援します。舞台に立って!って喚きながら応援します。わけわかんないね。仕方ないよね。複雑なんだけど、そうじゃなくて。でもヘタミュがあったから、今があって、すごく感謝したくて。わけわかんないです。だってどうせ好きだもんね。いつも期待を超えてくれるのはあれから1年と少しが経った今も同じです。

 ずっとプロ精神がすごい人だなって思っていて。それって役者は大変だねとか、そういう話ではなく、他人事ではないんです。大変なのは、そりゃそうかもしれないけれど、自分と切り離してそう言えることではない。廣瀬さんのそういうところ、仕事に対する姿勢とかプロ精神とかをずっと尊敬していました。もしかして人として好きだったのかな。そう思ったことないはずなんだけど。ここにきてそう気付かされたくないな。なんでかな(笑)
 あと、お芝居が好きだってみんな言うよね。みんなっていうのは、そう言ってくれた人を何人も知っているから、そう表現しちゃうだけですが。けれどあまりにもよく聞くから、そういうことなんだと思います。わたしも、そこが一番好きなんです。なんだろうね、あれ。芝居が好きだって誰かが言うたびに、わたしはいつもたくさん頷いていました。

 わたしが俗に言う若手俳優の存在を知って、お金と時間を優先し始めた頃から廣瀬さんのことは知っていましたし、好きだなーってなんとなく思っていました。
 初めて遠征した舞台にもいましたね。それから少し後に、ドグラ・マグラの朗読劇のDVDを見ました。衝撃的でした。うわすっっごいすきだってふわふわしました。大阪の挨拶を聞いた人は察すると思うんですが、あれは植田さんがモヨ子を演じていた時のものです。なんという…ね……(笑)
 それがヘタミュ初演が発表された頃と同時期だったかな。そのあたりはあまり覚えていません。とりあえずわたしの感覚としては、ヘタミュははじめから、推しが推しを演じる世界でした。
 廣瀬さんのことを好きでよかった。英領でよかった。ヘタミュに出会えてよかった。だから、わたしにとってはとんでもない奇跡の世界なんです。
 そうとしか言えなくて、でもまだまだ溢れるものをまとめきれない。けれど言葉にはできなくて。なんだかとにかく幸せだーって思います。

 ヘタミュはゴールテープを切りました。SWから走ってきて、幕を下ろしました。
 美しいまま終わることに最初はそれがいいじゃんって思っていて、けれどライブが始まると、終わってほしくないって思うようになって。でも、最後の最後にみんながステージの上でほんとうに楽しそうなのを見て、わたしも楽しくて、ゴールテープを切ることに対してこれでいいんだって気持ちになって。寂しいけれど、ちょっと嬉しくもなりました。"誇り"という感情に近いのかもしれません。
 これで本当に終わりだということを讃えたくもある。それでこそ、だから。
 けれど。一度幕が下りたものをもう一度やってはいけないなんて決まりはない。わたしの小さな声が届くのならば、アンケートに長ったらしく気持ちをぶつけます。たくさん祈ります。一度生まれた奇跡をもう一度呼ぶんだ。

 とても支離滅裂な文章を書いてしまいました。きっと言いたいことをちゃんと書くことなんてできません。
 ライブ、とっっても楽しかった。ハチャメチャに楽しかったです。脳が処理できないくらい。
 わたしはヘタミュのみんなが好きです。一人一人に感想残したい。またエントリーにまとめることができたらいいな。

 まるい地球に生まれた奇跡を、心の中で大切にしたいと思います。ありがとう、ヘタミュ。大好きです。

*1:ファンサとは、キャラクターのファンに対するサービスすべてを言うとわたしは考えています。観客が求めているもの、喜ぶものをさらりと舞台上でやること。そういうものすべて、だと。

あたたかい世界にて/「アンナチュラル」10話

 ドラマ「アンナチュラル」が最終回を迎えました。当然のようにロス。でもよかった。はじめに言わせて。
 
 やっぱり木林さんはいい人だった!!!!!(お金が大好きな)(中堂さんにとっての)いい人だった!!!

 終わってから眠りにつくまでずーっと木林さんのことばかり考えていました。もっとたくさん考えることはあるんですけどね。
 いや〜〜木林さん推しててよかった〜〜〜!!!
 思うところはいろいろありますが、簡潔に感想文をしたためます。

すっきり、温かい

 アンナチュラルは解決の仕方が清々しくスッキリする話が多いように思うけれど、最終回はとくにそのテンポが気持ちよかったです。
 久部くん→糀谷さんのお父様→糀谷さんのお墓はアメリカ→土葬!再解剖!できる!という一連の流れがあったからすっきりと途切れた感じがなく見ることができたのかな。所長と東海林さんのアメリカなら燃やしてない!のくだりがめ〜〜っちゃ好きでした。
 最終回で解剖するご遺体が糀谷夕希子さんという点もいいなあと思います。熱い。あと第一執刀医がミコトで、中堂さんは見てるだけというところがいい。
 1~9話のいろんなものを回収しながらあの一瞬の世界に決着を落とし込んだところがすごくいいなと思いました。おもしろい話でした。

世界が好き

 アンナチュラルの好きなところってあらゆる社会問題に対してずばっと切り裂くところ、のように見えてもっと別の部分だと思うんですね。だって意図的ではなく偶然のところもある。それが何なのか、ずっと考えています。
 単に世界に対する解釈がばっちり合うだけかもしれません。それから、くどさがなくてシンプルに潔いところがいい。ただ、そう考えることって別のあらゆるものと比べて相対的に感じているだけ。アンナチュラルにしかない、だからこその要素が、きっと好きなんですけど、どこだろう。兎にも角にも、あの世界がわたしは大好きです。

葬儀屋の話


 界隈が木林さん犯人説にどんどん裏付けしていく中、公式のこのツイート。
 木林さんはいい人だと9話で確信していたのに、さすがにエェ…という気持ちになり、まさかこんな落ち着かない気持ちで最終回を待つとは思いませんでした。
 しかし結局は中堂さんにお金をもらって協力しているだけ。今まで見たことのない木林さんとはルンルン木林さんでした。かわいい。歩き方がモデル。かわいい!かわいいぞ!というかお金が好きなところもかわいいぞ!食いっぱぐれなどしないくせに!
 なんだか結局は謎多きままで終わりました。中堂さんとの関係もきっかけや背景は分からないまま。中堂さんは木林さんがお金好きだって知ってたの?あの気難しい中堂系(41)に全面的に信頼される木林南雲(28)という構図がどう生まれたのか知りたいです。
 ところでるんるん木林さんがたしかに衝撃的で、今まで怪しい風吹かせてたところさえ可愛く見えてきました。
 木林さんの本性ってなんだろうって考えたときに、"お金が好き"ということと"対中堂系の振る舞い"だけは揺らがないのかなあって思います。バランスが絶妙です。中堂さんのやることを止めようとしないし、中堂さんがお金をくれるなら所沢まで運転したり運び屋をやったり何でもやるし、だからこそ信頼できる。同時に中堂さんに救われてほしいと思っているんだろうな、と感じます。9話で中堂さんにまだやるんですかっていう視線を送っていたり、10話のラストでおそらく救われた中堂さんを見る表情に安心感が灯っていたり。ラストの木林さんの中堂さんを見る目がやさしくて、わたしはとても満足です。
 原作がなくてキャラクターが0から作り上げられるオリジナル脚本である今作において、1話から10話にかけて木林さんの存在がしっくりと世界の中に収まったように思います。作品世界が進むにつれて生まれる役者とのリンクは原作モノでもありますがオリジナル脚本はそれがとくにつよい。木林さんに対して最後にそれをしみじみと感じることができました。とは言え、結局なんなの…?!と思わされたり、やはり謎は多いままだったり、すごいなあと思います(小並感)
 続編での葬儀屋木林南雲、楽しみにしています♡願わくば「アンナチュラルスピンオフ~フォレスト葬儀社編~」みたいなやつが見たいです。キャストクレジットのわりと上の方に井浦さんの名前があるやつ。よろしくお願いします!!

旅は続く

 1話を見てめちゃめちゃおもしろくて、毎週見るうちにどんどんハマったアンナチュラル。あっという間の3ヶ月でした。
 続編あるよね!ある!もっともっとあの世界を浴びたい。映画もしてほしいな。大きなスクリーンに映し出されるアンナチュラルが見れたら、なんてしあわせなんでしょう。
 なんにせよ、これからもあの世界は続く。わたしたちはその切り取られた一瞬を覗いていて、少しの間だけその扉が閉まるだけ。「Their journey will continue...」の文字は希望に満ちていました。また覗けることを祈っています。