壺の中の泉

きらめきたい

華やかな熱狂に、美しい迫力に、わたしの世界は彩られた/少年社中第36回公演「トゥーランドット~廃墟に眠る少年の夢~」感想

こうなりたい、と思いました。
こんな風に生きたい。こう在りたい。そう思える対象があることはなんと幸福で豊かなことでしょうか。

人生に彩りを。
ちょっと大げさかもしれないけれど、あの夜劇場にいたわたしの心に変化をもたらされたのは確かでした。

少年社中20周年記念ファイナル
少年社中第36回公演 【トゥーランドット~廃墟に眠る少年の夢~】
www.shachu.com

いきなり余談ですが。
仮面ライダーに心奪われていたわたしは、秋のファイナルステージでまた彼らに出会ったのです。客席に座った途端目に入った映像の中にいたのは、ここで見るなんて思いもしない人でした。何このハイビジュアルで美しい画は?!と動揺していたら、少年社中の新作だとすぐに知る。そしてフライヤーを見て、好きな人の名前が並んでいて福岡公演の知らせが書いてあって、すぐにスケジュール帳に書き込みました。あの時に見た特報は世界で一番最初に流れたものです。その日のうちにSNSで解禁されていた時刻を見て、少しうれしくなった。この世で一番早くこの解禁映像を見たんだって。そういうことでうれしくなっちゃうから、ちょろいよね。だから最初から思い入れ深いものでした。

さらに余談ですが、今回得たフライヤーの中にGOZEN*1が入っていて、このトゥーランドットを経てそこ*2に立ち戻るのは運命的なものを感じざるを得ません。好きは巡る。

ひさしぶりに脳天をやられる、心揺さぶられる感覚に陥ったトゥーランドット。どうしてもしんどくて一思いに最高だ!とは言えずにいるけれど、この状況はきっと最高なのだろうしもっと浴びたい、味わいたいのです。
以下、ネタバレ含みます。


夢!希望!演劇で世界は変わる!
本来ならそういう気持ちをいっぱいにしてこの感想文を書くものかもしれません。でも、できない。そんなハッピーな気分にはなれませんでした。
だって重いもん!!! 

しかしわたしは、この世界そのものになりたいと思いました。こういう生き方がしたい。少年の心をいつまでも心に灯し続け、鮮やかな世界をその目に映し、たくさん踊るんです。少年社中の舞台を観るのは2回目でした。たった2回だけれど、"分かった"のです。これが少年社中だ、と。ああ、もっと観たい、感じたいな。無条件に好きだと思える。
わたしはこんな風に生きたいのです。それを演劇で示されるとは思いませんでした。
だってそういうロールモデルって、ある一個人だったりキャラクターだったりするでしょう?TwitterInstagramを追いかけて、お手本にしてモチベーションを上げる。そういうもんでしょ?まあでも、わたしはまだそんな存在を探している途中でした。正直先が見えずに迷いながら。「ハッピーに生きる!」と掲げて、手探りで自分がロールモデルになってやるって。
そんな時にこの「トゥーランドット」を観劇して、ああこれだ…と感じました。
それが、この作品の絵面に対する感想です。

そんな風に無条件のハッピーを感じることができながら、同時に事実がつらい作品でもありました。

遠い未来、皇帝陛下アルトゥム=ビッグブラザー藤木孝さん)による世界で人間達は感情を失っていました。そしてその代わりにロボットが作り出されていました。ビッグブラザーの手によって。ロボットは人間がやめた労働を行います。

この作品の舞台は、遥か昔に禁じられた「演劇」をやろうとする、演劇で世界を変えようとするロボット集団"シアターバード"
松田凌さん演じる"カラス"はその一員です。そこに「愛」を夢見る人間・トゥーランドット姫(生駒里奈さん)(超かわいい)がやってきて。ケツァールと名付けられます。
カラスに劇団を紹介した支配人を鈴木勝吾さんが演じられていました。その支配人="謎の男"の横で酒を飲んで死に場所を探しているティムール(岩田有民さん)の方が謎すぎる……とか思っていたんですが、さておき。

この世界で、ロボット達の方がよほど人間らしく、人間達はビッグブラザーによりプログラムされた、まるでロボットでした。それを体現しているのが大将軍ローラン(有澤樟太郎さん)とピンポンパン(川本裕之さん/竹内尚文さん/長谷川太郎さん)です。そして彼らを従える"高貴な女"こそが"トゥーランドット"(杉山未央さん)です。
ピンポンパンの三人にはある役割があるって事前特番で聞いたような気がするんですが、それは頭の片隅に放置していたのです。ところが、シアターバードの演劇に魅入られた彼らが「涙」を知った時、その役割の意味を瞬時に理解しました。人間でありながらまるでロボットのような彼らこそ、変化の象徴です。

そしてそんな人間にあって、ロボットにないもの。それは「命」
人間とロボットは「死」の機序がまるで違います。
ロボット達が皆消去される=死ぬとなった時、ある事実が出揃いました。それはケツァールが本当はロボットであり、カラスが人間であるということ。
つまりカラスは一人残されるんですよね。鬼畜じゃないですか。重い。命をかけて演劇で世界を変えるんだって先陣を切っていたカラスが。

そしてカラスが人間である理由。
それは遠い昔に人間が愛を委ねたAI=「ビッグブラザー」が作り出した二人の特別な人間のうちの一人だから。
ビッグブラザー」は長き苦悩の中で、演劇で世界を変えようとするロボット達を率いるために二人の人間を作りました。
カラス。そして謎の男、支配人="カラフ"。
その全てをカラフには明かし、カラス(おそらく本当の名はカラフ)には明かしていませんでした。
人々が「愛」を忘れた世界で「愛」たる演劇で世界を変える使命を与えられた二人。一人は夢を背負い、一人は苦しみ続ける。夢を背負い苦しみ続ける二人。

松田凌と鈴木勝吾を知る人ならば、少しでも追いかけたことのある人なら分かるはず。しんどすぎる。この二人に"それ"を背負わせる容赦なさ。それこそが「演劇で世界を変える。世界は変わる。」というコピーに値するのでしょう。あの舞台は本気で世界を変えようとしていた。そういう布陣だった。

この二人以外もたぶん当て書きなんですよね。当て書きってめちゃめちゃしんどいよね。好きです。
生駒ちゃんすごい!かわいい!というツイートにたくさん反応をいただいて*3生駒ちゃんファンの方のツイートをちらちらと見る中で「夢」「希望」というワードが目にとまりました。舞台上で一際輝く存在感を放っていたケツァールは生駒ちゃんそのものだったのかもしれない。全く知らない、初見だったから、分からないけれど、そう思いました。
あんなに小さくて細くてとにかく華奢なのに、出てきた瞬間一人だけ違うオーラがあるって悟ったし彼女は舞台上でとても特別でした。演劇をやるために生まれてきたのかとすら思う存在感と同時に、きらめくオーラはアイドルのそれで。二つを持ち合わせたパワー溢れる彼女はまぎれもなくステージ上に生きる人なのだと思います。

ああ、かわいかったなあ。ほんとうに素敵でした。特報を見た時から絵面が最強!って思っていたのですが、永遠の少年のような松田さんと可憐な少女の生駒さんは舞台の上でもやっぱり最強でした。表現をするために生を受けたような人たち。特別なオーラ。キスも抱擁も、あんなにも透き通ったまっすぐな「愛」の表現をわたしは見たことがない。
やっぱりこの組み合わせは世界を変えるだけのパワーを持った凄まじい最強のかけ算だなと思います。この発想は天才、という感じ。


W主演のお二人に魅せられながら、実はひさしぶりに脳天をやられ心揺さぶられる体験をしていました。
終演後最初のツイートがこれ。

トゥーランドットの感想を誰かに語るのなら第一声は「鈴木勝吾がマジでマジでヤバい」になっちゃうと思う。
わたしは中盤からこの人が喋るたびに息が止まり涙を禁じ得ず、そしてその状況に動揺していました。あるシーンから、ふと。どこからだっけな。…って、台本を開いて確認するとかなり早い段階で心奪われているんですよね。あーーー…わっっかんないな。
謎の男=支配人=カラフってすごく苦しい役だと思います。愛により生まれ、「世界を変える」という生きる意味を与えられ。しかし愛が失われた世界で、「何も変わらないことを確かめるため」に「世界を変えようとする」そんなの、あまりにもしんどい。
彼のセリフに「矛盾しているぞ」とありますが、矛盾している人が他者に言う「矛盾している」ってほんとうに滑稽。

この世界において「世界を変える」とは、感情を失った人間に感情を宿すこと。そしてその手段が「演劇」
彼自身が人間であり、変わらないことを身をもって知っているのでしょう。
彼が本当に世界を変えたかったのかは分からない。ただ、それが与えられた生きる意味。ああ、世界、変えたかったのかも。でも変えられない、変わらない。誰も望んでいない。意味を全うできないから「こんな命、いつ捨てたって構わない」のかもしれない。けれど「世界は変わる」と自分の半身とも言えるカラスが曇り一つなく信じ、行動している。自分だって心の底では信じている。
ビッグブラザー」は彼に全てを教えました。それは彼がずっと苦しみ続けるということ。

演劇で世界を変えられると本当に信じている(とこちらも見ていて感じる)人が、演劇で世界を変える人間を演じ、そして「世界は変わらない」と言い続ける。とんでもないな。そう思いました。この人にそんなことさせるの?って。毛利さん、鬼だなーって。でもね、わたしがあまり知らなかっただけかもしれない。だって底知れない。だから魅せられたのかも。パンフを読んで、ちょっと分からなくなりました。同時に腑に落ちた。

支配人の苦しみを、感情の起伏を直に浴びたのだと思う。いわば「抑え」のお芝居。その中にとんでもないエネルギーがある。すごい。ひたすらすごい。なんか分かんないけれど、とにかく直に心がやられる。あれ、何がどうなってるの?気付いたら目で追っていたとかそんなレベルではなくて、目を奪われるというか、見ないという選択ができなくなっていて。

トゥーランドット」お披露目の支配人挨拶、もうすごかった。あの声量、美しい迫力。正直、10人の声量さえ勝てない。あれを味わえるのは劇場だけ。うわ!世界変わる!という気持ちになるしわたしは変えられてしまった。
そして最後の最後、最強の二人=崩れ落ちるケツァールを抱きしめるカラスを見る支配人の表情が忘れられません。「愛」を知った、それ。どう言葉にしてよいか分かりません。支配人、もう死にたいなんて思わないよね。
ビッグブラザー」が君臨するあの世界で、"高貴な女"と"謎の男"はトゥーランドットとカラフでした。虚構の中のトゥーランドットとカラフの背後で愛を知った二人。あまりにも美しすぎる構図。わたしはたしかに感動していました。あの場で感情を知った観客達と同じように。

わたしはエモーショナルで美しいものを愛しています。たぶん、そこを超えてきた。そんな気がします。
初めて観たなんてことはないんですよね。比較的、よく知る人。だからしんどかったんですが。
彼のファンは幸せだろうな、うらやましいな。そう幾度となく思ってきました。じゃあなりなよ、ってそういう話でもなかったんですよね。なんだろう、「なれない」と思っていたのかもしれません。それに、幸せだろうなと他人事のように思うことで満たされていたのです。
あー!いいなー!ファンになりたい!って何度も何度も思って、それがいつもの現象だったけれど、今回は、ファンになる…しかない……ならせて…どうしたらいい………と路頭に迷っている感じです。当事者になりたいと思いました。
そんな衝撃的な2時間でした。どうして今?という感じですよね。いろんな偶然が重なったのだと思います。


奇跡、なのかもしれませんね。

ところでやっぱりいまだ"ファン"とは何か分からずにいるのですが、もうそんなものどうだっていいなって思いました。
余計な条件付けや重みなんていらない。推しだとかファンだとかそんな概念も正直必要ない。こうあるべき、みたいなものはかなぐり捨てて、思うままに自由に、それこそ鳥みたいに。
必要なのは、選択の基準と観に行く理由だけです。きっとわたしは次回以降出演作を観る時、幸せになるんだろうなあと。
誰かを観たくて何かを観るのにそれ以上もそれ以下もないよね。
それは純粋なラブを浴びたから知ることができたのだと思います。

心抉られ、息が止まり、涙さえ出そうになる。そんな体験ができて幸せでした。

わたし自身がこの作品そのものになりたい、こうなりたい。あんな風に、あんな世界観で生きたい 。この「トゥーランドット」の感想を簡単に表すならば、こうです。
好きなお芝居を観ることでわたしの人生は彩られる。
「演劇で世界を変える。世界は変わる。」というコピーを掲げたこの舞台によって、わたしの心は抉られ揺さぶられ「変化」をもたらされました。一観客の世界が変わった。大げさかもしれないけれど、これが事実です。
狂いし夢、美しい歓び、少年少女のような華やかさ。熱狂する世界をありがとうございました。

*1:toei-movie-st.com

*2:東映

*3:推しを肯定的に語られることの喜びを反応という形で投げられた気がして、最初は通知うるさい!って笑ってたけどだんだんハッピーになりました。