古びた壁

脈絡なんてものは知らない

だいすきな歌声はいつまでもだいすきで変わらない

※だいじな部分を間違えていたのでちょっと書き直しました…。

 こんばんは。感情のままにキーボードをかたかたと打っています。俳優おたくというアイデンティティのない記事を書くのはおそらくはじめてです。世界でいちばん好きな歌声と、そのひとについての話をします。まあ自分語りに近いです!!!はい!!

www.nicovideo.jp

 わたしのだいすきな歌声。りぶさんが2年8ヶ月ぶりに歌ってみた動画を投稿した。
 2年8ヶ月。ちょうどわたしの大学生活と同じくらい。わたしは何をしていただろう…って、俳優を追いかけていた。舞台に通うことを覚えた。お金を使うことを覚えた。ニコニコ動画の利用目的は俳優関連のみ。ボカロや歌い手関連の動画はほとんど見ていない。
 そりゃそうだ。りぶさんの歌い手活動が途絶えていたから。わたしは元々ライトなおたくだったからボカロや歌ってみたを嗜むことはあっても「ハマった」まではいかなかった。だからそんなに詳しくないの。なのに歌い手が好きってちょっとコンプレックスに思ったこともある。実際、わたしが好きなのは歌い手じゃなくてりぶさんだったからそれでいいのだけれど。

 出会ったのは何がきっかけだったか、もう覚えていない。ライトなおたくらしく歌ってみた動画を巡回していたとか、そんなところだと思う。初めて聴いた曲はなんだったかも覚えていないけれど、とにかく好きな歌声に出会ったことだけは確かだった。わたしの心に刺さった。シンプルにそれだけの話だ。
 わたしは何かを好きになることが滅多になくて、おそらく好きなものが少ない。でもその分好きになったらそれは確かなもので、嘘じゃない。分かりやすい。ほんとうに好きなもの、とそれ以外のものの区別が自分の中でとてもくっきりしているんだ、わたしは。(それ以外のものにも好きという気持ちは沸くし、くっきりとした境界は自分の中だけでだいじにしたい)だからボカロ好きとか歌い手好きとかあんまり言えなくて、でも"ライトなおたくらしく"動画を巡回して、しっくりこない"好き"をTLに置いたりハマってるふりをしたりした。今思えばとてもつまらなくて、嘘ばかりだったなあ。
 りぶさんはわたしの「ほんとうに好きなもの」の枠に突然入ってきた。どうしてか分からないけれど、とにかく好きだった。好きに理由なんていらないってこういうことを言うんだろう。
 どうあがいても好きな歌声で、高音がきれいで、ビブラートがたまらなくて、曲の表現がとてもうまくて、わたしの心につよくやさしく刺さる。新作動画や生放送を追いかけている時間がとても幸せで、CDのリリイベにも足を運んだ。地元に来てくれるなんてそんな機会逃せるわけがない。わたしの人生における唯一の接触イベなの。今思えばよく福岡に来てくれたなあ…(友人に誘われてCOFにも行ったよ。りぶさんいなかったけど!笑 でも楽しかった。)
 当時高校生のわたしに一人で飛行機に乗る術なんてなかった*1からワンマンライブは行かなくて、今でもちょっと悔しいけれど、後悔しても仕方がない。
 遠征や現場の概念を持ち合わせていない当時のわたしがリリイベに行ったことはとてもとても大きなこと。おたくとしての自我がちゃんと芽生えていろんなことを理解できるようになった今だからこそ分かるけれど、大事件よ!

 りぶさんが生放送などでよく言っていたことがある。10年後20年後、"りぶ"っていう歌い手がいたということを覚えていなくてもいい、飽きててもいい、嫌いになっててもいい、今この瞬間をくれたことを誇りに思う、もしまたいつかふと思い出したときにほこりまみれのCDを引っ張り出して聴いてくれたらそんなに嬉しいことはない…って。とても印象的だった。他の人と違うって思った。わたしがひねくれているのはたぶん昔からみたいで、このひとは信用できるって思っちゃった。人としても、というか歌う人としても好きだと思ったのはこういう面があったから。
 たぶんこの言葉の裏には"自分がいなくなっても"という意味があったのだと思う。2年8ヶ月という空白期間がそれを証明しているのかもしれない。その実情は分からないけれど。
 りぶさんはきっとこれからも歌い続けるんだと思う。その場所がどこであれ。たとえそこがカラオケルームだとしても。そんなだいすきな歌声をわたしたちに聴かせてくれることに感謝の気持ちを忘れたくない。どうしたら伝わるだろう。この2年8ヶ月でわたしは伝えることを覚えたし、誰かを好きになることはそれが画面越しだとしても人対人であることに変わりないとも覚えた。
 リリイベの時は若かったからか接触イベで自分のことを喋るタイプのよわいおたくで何も伝えられなかった。それなのに優しく対応してくれたしサイン会って聞いてたのに握手がついてきた(笑)でもほんとうに、何も伝えられなかったな…って。
 今こそちゃんと伝えたい。元気が出ないときはずっとりぶさんの歌を聴きながら電車に揺られていた、だいすきな歌声だって。

 ドラマツルギーを聴いて、ひとつ分かったことがある。それはわたしがりぶさんを好きであることが確かな事実だってこと。ちょっと安心した部分もある。まだちゃんと好きだった、よかった…って。わたしの数少ない「だいすき」のひとつなんだ。

 歌い手文化は分からない。ボカロも詳しくない。それでもこのひとの歌声がだいすきで、このひとを通してわたしは新しいものを知る。それでもいい。わたしにとっての、わたしだけの"好き"なんだもの。きっといつまでもだいすきよ。
 歌い手はメジャーデビューしたり別のフィールドで有名になったりする人もいるけれど、元々は一般人だ。久しぶりの生放送で生態が謎だなって思ったのは、俳優おたくをやってきたわたし。俳優とは違うんだよなあって、しみじみ思う。どうしよう。やっぱりメジャーデビューとかしてほしいな~~~!って、それが本音。だってある程度シンガーとしての存在が確かなものになる。リリイベ当時は大学生って言ってたから、今はきっと社会人なんだろうな。

 どうかこれからもだいすきな歌声を聴き続けられますように。




 あっそれとね、顔も好き。これもまた抗えない事実なの、ずるいよね(笑)

*1:バイト禁止だし脳のゆるいアニヲタにお小遣いを貯めることはできなかった

【検証】2.5次元という分画はどろどろに溶けたまま?/思考レポート

 とても便利な時代になった。そう思うわたしはまだハタチだけれど、まだハタチのわたしが思うのだから、急速に便利になっているのだと思う。例えば資格試験の勉強をするのに紙媒体の過去問を買わなくてもスマホで事足りてしまうのだ。だから電車の中ではいつもスマホで過去問を解きたいのだけれど、考えることが好きなわたしはうっかりこんな文章を書いている。※いつもよりまじめな文体なのは仕様だ。
 最近はささやかな空き時間ができたから、週に2〜3日以上は行きつけのドトールで豆乳ラテを飲んでいる。先日もそうやって豆乳ラテとカルツォーネ*1を頼んで、ふと思い立ってこんなことを調べた。

 演劇のジャンルとして「2.5次元」は確立されているのか?

 わたしは大学では演劇とはかけ離れた分野を学んでいる、ただの消費者だ。しかもこれからここに書き綴る思考は、消費者というよりは環境の悪化が進みながらも絶景を保つ海のように広く深いインターネットの隅っこに棲むユーザーによるものである。

 まず「演劇」のwikiの分類という項目を見て、ちょっとだけびっくりした。そこに「2.5次元」またはそういったものを狭義に指すものがなかった。そろそろ出来ていてもいいのでは?と思っていたから。敢えてこの中で分類するなら「商業演劇」に含まれるのだろう。"大手興行会社"にあたるのは言うまでもなくマーベラスネルケプランニング等に違いない。
 それなら「2.5次元」という言葉がWikipediaにすら存在しないのかと思い探したところ、あった。あったが、wikiによると本来の意味はもっと物理分野で、コミックやアニメなどの原作を舞台化した作品やそれを含む一ジャンルとしての意味はその他に分類されていた。

2.5次元(にてんごじげん)は、物体の3次元的形状を、1つの方向から見える範囲で表したもの。2次元と3次元の中間という意味でこう呼ばれる。ただし、端数の0.5という値に正確な意味合いがあるわけではない。物体の裏側や内部に関する情報がないことで、3次元と区別される。

2.5次元 - Wikipedia

2次元(アニメなどのキャラクター)と3次元(実在する人物)の中間という意味で、キャラクターのフィギュアや着ぐるみ、コスプレ、アイドル声優、これを舞台などで演じる俳優・女優などを2.5次元と呼ぶスラングがある。

2.5次元 - Wikipedia

 俗に言う2.5次元とはスラングらしい。俗に言うのだから、そりゃスラングだよなあと思った。
 けれどやっぱり思ってしまう。「2.5次元」はまだまだスラングに過ぎないのだろうか。

 そもそもWikipediaコピーレフトな百科事典で、世界中の誰もが編集に参加できるらしい。この概念を前提に置いて、当エントリを書き進めることにする。なおWikipedia以外の「○○とは」というサイトや記事はここでは読んでいないものとする。

思考レポート


 何をもって2.5次元と言うのか。散々検証されてきたであろうし、今更ここで考えることでもないけれど、形式上考えておく。
 広義で言えば、2次元を原作とする作品を3次元で舞台化したものだ。そう考えると宝塚や歌舞伎でも2.5次元は上演されている。それに原作の舞台化は何も最近になって出てきたものではない。けれど"俗に言う"2.5次元は狭義で確立されようとしていると感じる。その狭義での2.5次元をどう定義すべきかは少なくともわたしにははっきり言えない。個々人の主観・感覚に任せればいいのかなあとも思う。ただ、分かりやすくざっくりと枠組みを思うのであれば、わたしはあの社団法人のラインアップにあるかどうかで考えたい。


 ところで、わたしには大好きな舞台作品がある。メサイアシリーズやもののふシリーズがそうだ。これらは俗に言う「若手(舞台)俳優」がキャストの多くを占める。こういった作品は、果たしてはっきりとジャンル分けすることはできるのだろうか。
 この手のオリジナル作品*2はいわば若手俳優の存在(要素)が前提にあると考えている。誤解を恐れずにざっくり言うとイケメン舞台。あるいはビジュアル舞台と言うべきだろうか?(?)メサイアやCSLは典型的なそれである可能性を否定できない。これは主観だけれど、ビジュアルがいいって最高だよね!
 こういった作品は商業演劇に分類されるのか、分からない。けれど分からないことは、むしろプラスに捉えることができる気がする。
 この文章を書いていて、"こういった"とか"主観的な基準だが"とかを頭につける必要があることに気付いた。それだけ曖昧で、多様で、ああいいなあと感じる。きっと今、演劇における分類が何か蠢いている、そういう時期なのだと思う。


 おそらく演劇に限界はないと仮定する。すると昨今の様々な舞台作品が用いる手法は演劇をつくるために必要な要素なのだと思う。
 ライブ形式、ペンライトを始めとする応援グッズ、ライブビューイング、配信…これらは作品の一要素であるが、「2.5次元」文化の特徴であり魅力とも言えるのではないか。もちろん一切のデジタル要素を排除した2.5次元作品もあるだろう。それはきっと、その原作を三次元に持ってくるための、やはり手法なのだ。原作に応じた様々な要素があらゆる形を生み出しているのは、2.5次元ならではなのかもしれない。


 2.5次元舞台を観て2.5次元の舞台に立つことを目指した俳優が何人か思い当たる。アイアシアターに立つことを目標としている俳優もいる。「2.5次元」の舞台に立つことを目標としている人は今ではとても多くいるのだろう。
 2.5の舞台を目指し俳優になり、2.5の舞台に多く立ち続けている俳優のことは、ああこのひとは2.5次元俳優なんだなあ……とぼんやり思っている。余談だが、もちろん彼らも商業演劇や小劇場演劇などに分類される舞台に出演することも多々ある。役者は様々な演劇のジャンルを行き来できる、それは当然のことだ。
 
 こういう視点から見ても、2.5次元」が演劇とは離れて独立した文化を形成しつつあると考えられる。

 この文化を考えるに当たって、「刀剣乱舞」は例としてとても分かりやすい。なんたって2.5次元の特徴的な要素を網羅しているように思う。
 この検証を行うきっかけのひとつが、鈴木勝吾さんのブログだった。
ameblo.jp
 (あ~~わかる、わかる……!これこれ…!)と心の中でかなりアガった。
 鈴木さんと言えば、2.5次元作品に出演された時に「原作ファンが舞台に、舞台ファンが原作に」という話をよくしている印象がある。その話を聞くたびに深く深く頷くしかないのだ。

 それからこちら。
ameblo.jp

 若手俳優達の刀剣乱舞に関するコメントを読むといつもなるほどなあと思う。そしてミュージカル「刀剣乱舞」は"エンターテイメント"で間違いないとも思うのだ。
 エンタメはとにかく楽しい。とにかく楽しい、それがエンタメだ。2.5次元とは最高のエンターテイメントなのだ。


 最近は争いが多いように感じる。「2.5次元」という新たなジャンル(=学術的分類?)が確立されようとしている今、仕方のないことかもしれない。(逆に言えば、争いが多発している今こそジャンルの確立の時かもしれない。)歴史の知識は義務教育止まりのわたしが偏見をもとに言うことだが、新しい国ができるときはいつだって争いが起こり、争いの末にぐちゃぐちゃになって国が成立しなかったこともある気がする。そして新しい国ができれば、そこに新たな法=ルールが生まれるはずだ。
 「2.5次元」が一つの演劇ジャンルとして確立されるのか、または有耶無耶になって廃れていくのか、関わるすべての人間に懸かっていると思う。
 有史以来争いを続けてきた*3人間達、がんばってほしい!(他人事)
 これはわたしが検証を放棄して思っていることだけれど、ここ最近のインターネットはその言動に包丁*4を仕込んでいる人が多いと感じる。とても攻撃的なそれ。柔らかに見えてナイフを隠し持っているそれ。包丁VS包丁ならまだしも、片方だけが包丁を仕込んでいる様子も見かける。たとえわたしが同意する立場の言動だとしても、そこに刃物が存在するのであれば、同じ側に属したくない。(という言い回しが刃物だと言われればそうだが、あまりにも哲学めいて着地点がないのでここでは終いにする)
 ただでさえ属することを厭うわたしなんだ。何にも属さず、きっと永遠に"ゴーイングマイウェイ"である。わたしはわたしよ!好きの構成はアイデンティティだ。

 wikiにこだわるのもどうかと思うが、wikiは世界の百科事典みたいなものだから、ここに「2.5次元(文化)」の項目ができるということはかなり大きいことだ。そんな日が来るのは近いかもしれないし、永遠にないかもしれない。インターネットの海で今感じていることは、「2.5次元」という一つのジャンル・文化の成立が明確にされつつあるのではないかということだ。
 しかしそこに立つ人、つくる人、観る人はその枠組みにとどまらない。行ったり来たり、とても曖昧である。曖昧だからこそ遂げる発展もあるに違いない。
 

【検証結果】

 2.5次元文化は今まさに確立されようとしている時で、どろどろで曖昧なのはむしろ人間なのだと、この検証を通して分かった。どろどろに溶けた概念は複雑怪奇で、一概にまとめることは不可能に近い。ここに思考を着地する。


 さて、今週末は舞台「青の祓魔師」島根イルミナティ編のアンコール配信を観ようと思う。視聴期限は12日だ。
 この検証エントリをここまで読んでくださった方にお礼(?)としてここに紹介しておく。
streaming.yahoo.co.jp

*1:エビとツナのポモドーロソース、熱かったけれど美味しかった!

*2:原作があるものもあるが、登場人物や物語を考慮して原作からは離れているものもこちらに数えることにする。

*3:メサイアに出てくるワード

*4:意見とは違う、罵倒の言葉や人を貶す雰囲気