たとえ造形でも、生きている。
――それが、メサイア!!!
【メサイアという平行世界の存在検証】
『生きる
— メサイアプロジェクト公式 (@messiah_project) 2017年12月16日
死ぬ
たった一人の神になる』
舞台「メサイアー月詠乃刻ー」上演決定!!
2018.4.14〜22 東京・シアターGロッソ
2018.4.27〜29 大阪・メルパルクホールhttps://t.co/4qlNV51tQ8
シリーズ史上初の卒業したサクラを主軸にしたストーリー。乞うご期待! pic.twitter.com/neo76Yr3Gu
生きる
死ぬ
たった一人の神になる
新作発表されましたね。
そしてこれも。
コミカライズって正直受け入れがたい。とくに三次元作品はそう思ってしまいます。なーんて気持ちで、読みました。原作者様書き下ろしということでちょっぴり期待も左手に抱えながら。
わたしはメサイアデビューが鋭利と珀でした。そういう拭えない贔屓目があるのは前提に感想を連ねます。
めっっちゃ感慨深い!!!!!
何がって、研見会と鋭利(と珀)が交わっていること。研見会は現実世界では最近ホットな組織で、鋭利と珀が主役の翡翠ノ章ではまったくその気配がありませんでした。
けれど、このコミカライズを読んで、わたしは鋭利と珀が今も生きていることを実感しました。研見会に関わっているということは、そういうことですよね。北が研見会に手を出したのはごく最近のことでしょうから。
現実問題、初代の四人が揃うのはおそらく難しいです。とてもとても難しいことだと思います。けれど"今"におけるコミカライズで彼らが揃うということで、彼らが今も生きていることをちゃんと確認できたような気がして、感慨深さと、安心と、喜びと…なんとも言えぬ感情が溢れてきます。
わたしがメサイアについて常々思っていることの一つに、キャラクターと役者がリンクするということがあります。先日のトークミッションで語られた内容を人づてに聞いて、そういった点で驚いたことがたくさんありました。同時に、メサイアの世界で生きるキャラクター達は、彼らを演じる現実世界の役者達に限りなく影響を受けているのだと改めてしみじみと思いました。
さて、突然ですが、わたしはメサイアシリーズが終わることを望んでいます。
最終章が観たい!だいすきな作品だからこそ、です。メディア媒体を介して発信される物語や世界、つまりコンテンツ/作品は、終わらない限り未完成です。メサイアの完成形が見たいと思ってしまいます。
しかし思い出したんです。悠久乃刻の楽日のカーテンコールで、杉江くんが「メサイアがずっと続いてほしい」と言っていたことを。
もしこの先何年もメサイアが続いたら?
キャラクターと役者がリンクしているというのはある一点における話ではなく、横軸と縦軸のある話。例えば、役者の状況がメサイア世界の物語をも変える。もっと分かりやすく言えば、役者の成長がキャラの成長=変化だと言われているのがそれだと思います。そのあたりは運命論になりますが、それはそれで、キャラと役者、互いが互いを引っ張り合っているのは、二世界の様々な要因ありきなので、運命論に違いありません。
そこで考えました。
メサイアという世界と現実世界は平行(パラレル)であるのではないか?
二つの世界が平行であるなら、メサイアが完結しない、させない、させなくてもいい理由はわたしなりに腑に落とすことができます。パラレル世界が作り出され、わたしたちはそれを観る。わたしたちの想いもパラレルとして二世界がリンクする要因です。
そうやってメサイアが現実世界との平行世界を形成するのであれば、とんでもない芸術だなあ、なんてことをこの休日の夕方にふと考えていました。
メサイアに出てくるキャラクター達は、実際生きています。それを実感させられることは何度もありました。コミカライズでも、改めて。
現実世界で生きているのはわたしたち消費者や演者、作り手…そしてメサイア世界ではキャラクター達がまたそこで生きている。なんだかすごいものに触れているなあって。
小説や漫画、実写作品などにおいてキャラクターは造形物に過ぎないかもしれませんが、メサイアについては魂が宿りつつあるのだと思います。時代劇をやる方々がお祓いに行かなければならないそれと似たような話です。魂は生まれるし、憑くから。わたしはホラーは苦手ですがオカルトを信じています。
それでもメサイアが一コンテンツ、エンタメ作品である限り、わたしは完結を望みます。しかしこのままずっと続いていくのなら、そしてそれがどんどん磨かれていくのなら、平行世界の存在が確かなものになるということだと解釈することにしました。
そういえば、メサイアは舞台と映画で食い違うところが多々あって、わたしはそれをパラレルワールドだと解釈することで自分なりにいろんなことを腑に落としています。こうなると現実世界と平行にメサイアの世界があって、そこにはさらに二つのパラレルワールドがあることになりますね。
映画と舞台がパラレルだというのは自分を納得させるための道具的な思考ですが、現実世界とメサイア世界がパラレルだというのはそれとは違う、しっかりあり得る、そういう考えです。
新作楽しみにしています。青木玄徳さんinメサイアのヤバさについて誰かが論文を書いてくれるのを待っています。ヤバイ!
最近ちょっと思うことは、ずっとメサイアに触れてきた人、これからメサイアに触れる人、すべての人が各々の状況に応じた自由な解釈と発想を分散させることができ、大切なその一つ一つが消えてしまわないことを願っているということです。もっといろんなひとがメサイアに触れますように!コミカライズ、すぐに、手軽に、読めますよ~!
最後に。メサイアがコンテンツとして完結することも望んでいますし、平行世界の存在が成立することもそれはそれでものすごいことだと思います。これからのメサイアがどう転ぶか、この現実世界を形成する一人である消費者はただただ祈り、なんとか玉転がしをすることしかできません。