古びた壁

脈絡なんてものは知らない

生命達の美しき物語にピリオドは打たれるか/仮面ライダービルド

 前略。
 わたしは仮面ライダービルドを愛している。あの世界そのものを、息づく生命達を愛したいと、そう思う。

 仮面ライダービルドを一言で表すなら、「エモーショナル」に尽きると思う。とにかく感情的なのだ。主人公は天才物理学者なのにね!
 ストーリーさえも論理的ではなく感情的に展開する。だから噛み合わないと感じる部分も多々ある。端折られている部分も多々ある。感情のために論理を犠牲にしているのではと思うほどだ。否、感情という論理で物語が紡がれているとも考えられる。わたしは語られる道理を自分の価値観と擦り合わせることができる限りどんな世界も全肯定していくスタンスでいるから、ビルドのことは総合的には絶賛している。なんだかんだ愛している。
 そもそも、ビルドにおけるライダーシステムの鍵となるのは"感情"だ。感情の高まりによってハザードレベルが上がる。物理的に感情を使っているのだ。
 生命を宿す全ての登場キャラクターがある一定の感情によって行動を決めていく。それは当たり前のことだけれど、ビルドは物語を展開する上でその「感情」を鍵としているのだから、コンテンツの特徴と言えるだろう。
 そんな仮面ライダービルドの集大成である劇場版「Be the one」は感情が物理現象を引き起こす紛れもないドラマであった。

 ※※以下、劇場版/本編最新話までのネタバレあり※※

①劇場版仮面ライダービルドBe the one

 今作のコピー文「奇跡を創る法則は、二人の絆。」通りの内容だった。
 絆という感情的概念が、物理法則を越える現象を引き起こす。ビルドらしいっちゃ、らしい。

 戦兎と万丈が引き裂かれ、戦兎が「お前はつくられたんだ」「何もない、空っぽだ」と追い詰められる。戦兎のアイデンティティを巡るアレコレは本編ですでに何度もやったことだし、二人が絆を再確認するのはもう飽きるほどに見た。きらめく二人を見るのが好きだから飽きないのだけれど。劇場版は、また同じことを繰り返している。ビルドあるある。あからさまだ。これを制作サイドがどう考えてるのか分からないが、同じことをやっていると気づかないわけないと思う。
 何故、戦兎はまた追い詰められたのか。その理由は、わたしは"足"にあると考えている。
 戦兎と万丈は、どちらかが地に這うと、必ず相棒が現れる。お互いが絶対的な光なのだ、その時目の前にあるのは、必ず"足"だった。彼らにとって互いの足こそ、希望の光だった。
 Be the oneでは、雨天の下で地に転がされた戦兎が縋る思いで万丈の足を掴むが、その足は戦兎を振り切る。それはもう、絶望的なことだろう。
 もちろん全国民が敵となり、仲間が敵となり、相棒が敵となり、そんな積み重ねはあった。とどめを刺したのが、グレートクローズに変身解除を伴うダメージを食らわされたこと、万丈の足に振り切られたことだった。そんな話だ。
 実際、戦兎役の犬飼さんも、戦兎はこれまで様々なことを乗り越えてきたから、これしきのことではへこたれないのではないか…といったことを台本を読んだ時に思ったとあらゆる媒体で語っている。そして監督らと話し合い、理解した上で演じているとも。
 そこでキーとなっているのはやはり"足"ではないかと勝手に思っている。その真相が語られることが今後あるのかないのか分からないが、今のところわたしの脳で思いつくのはそれだけだ。

 一方で洗脳された万丈はと言うと、それはそれで印象に残っている話がある。某誌*1で万丈役の赤楚さんが操られている間の芝居に関して「無機質でありたい」と言っていた。"無機質"という言葉の選択がやはり好きだなあと思ったのだけれど、それを踏まえて今作を観ると得も言われぬ気持ちになる。そして報知新聞の仮面ライダー特別号で万丈を洗脳する伊能役の勝村さんが、雨のシーンで赤楚さんが涙を流していたという暴露話をしている。無機質と涙は共存するらしい。あまりにも美しいな、と思った。
 記憶喪失モノや洗脳話では、大切な人のことを"何か大事なことを忘れている気がする"とか"なんだか心が引っかかる"といった表現をすることが多い。洗脳された万丈の、あの戦兎を見る目、思う目、あのどこか遠くを見ているような、それこそ生きた無機質のような感じは、洗脳状態における心の引っ掛かりがある状態なのかもしれない。
 これに関しては赤楚さんの演技がべらぼうにうまいと思った。無の演技がうまいってどういうことだろうと人智の及ばぬところを見ている気分だ。
 
 追い詰められた戦兎が一人でどう立ち上がるのか。それもまた雨の下だった。しかも桐生戦兎という自分自身の始まりの場所で。ゴミを蹴散らすほどに絶望の淵にありながらも、ゆっくりと思い出していくのだ。意識を失っている間に、おそらく夢を見たのだとわたしは解釈している。10年前の惨劇の際に父・葛城忍が言い遺した「万丈龍我の力が世界を変える」という言葉を、思い出したのだ。彼が希望になるということ、戦兎と万丈は愛と平和のために出会うべくして出会ったのだということ。
 戦兎は自身の記憶の部屋で、ライダーシステムがなければかけがえのない仲間達に出会えなかったと語っている。そして、万丈のことを「俺の大切な相棒だ」と、暗い雨天の下でひどく優しい顔をして言うのだ。あまりにも美しくてきれいで透き通った、神聖さすら感じる関係性だ。ああ、この二人を追い続けてよかった。そう思った。

 さて、冒頭の話に戻ろう。今作は"奇跡を創る法則は、二人の絆"とある。
 その通りのことが、最終決戦で起きる。
 伊能が変身する史上最強の敵・仮面ライダーブラッドは、同じくブラッド族の郷原、才賀のスマッシュ態、そして万丈を吸収して変身する。(万丈、本当にブラッド族の血筋なんだなとしみじみと思ってしまった。)
 戦兎がジーニアスフォームに変身してもそう簡単には勝てない相手だ。地に転がされ、蔑まされ、しかしそこで立ち上がる。ラビットボトルが金色に光り、ブラッドの中の万丈――おそらくドラゴンボトルが銀色に光るのだ。ここのシーン、まさに「奇跡を創る法則は、二人の絆」を物理的に体現していると思った。"感情"が鍵となって物語が展開するビルドらしいな、と。はちゃめちゃで最高だ。
 「お前の命、もらうぞ」が結局どういうことだったのかは未だに分からずにいる。これを紐解くためにあと一回くらいは観たい、というか前売り券があと一回分残っているのだけれど、一生理解できそうにないとも感じている。ブラッドという万丈の身元から自身の元へと、"確かに"その存在を側に置こう、という相棒再確認の言葉かな、というところが今考えられる最大だ。

 そしてまた物理的にBe the one(合体変身)して、ブラッドを倒す。
 クローズビルドVSブラッドの映像が凄まじく良かった。わたしたちは確かに"劇場版"仮面ライダービルドを観せられていた。「ラブアンドピースキック」と二人が声を合わせて必殺技を決めるところは、金色と銀色の二重らせんに果てしないエモさを感じた。二重らせんはおそらくDNAで、二本鎖は金と銀、つまり"二人が"生み出したものだということが視覚的に分かる。さすが、アイテムやフォームのエモさに定評のあるビルド!必殺技までエモ……なんてことを考えてしまった。
 ところで平ジェネFINALで戦兎がラブアンドピースのために戦っていると言ったことに対して「よくそんな恥ずかしいこと言えるな」と返した万丈が戦兎と二人で「ラブアンドピースキック」って言ってるところになんだか思うところがある。万丈の戦う理由がラブアンドピースになっていることなんて今となっては随分前から分かりきっていることだけれど。

 この映画が二人の関係性の終着点と言われるが、決戦後の二人が腕を突き合うシーンがある。まさにこれが二人の行き着いた先なのだな、と感慨深く思った。
 万丈が先に腕を出したのも、それに戦兎がコツンと突き返したのも、非常に分かる。分かりすぎてびっくりした。
 これについておもしろいのは、演じているお二人がこれまで"たとえ台本に書かれていても"今まで決してやらなかったらしいということ。スーツアクターのお二人にも守っていただいていたらしい。それを二人の関係性の終着点と言われる今作で解禁した、と。ビルドの主軸である"ベストマッチな奴ら"の圧倒的な安定感の理由が少しだけ分かった気がするし、その解禁のタイミングも絶妙で、ああやっぱり追い続けてよかった、と思った。涙溢れる思いだ。

 今作は、何のために戦うのかという一貫したテーマが据えられていたため、予告編の情報量のわりに分かりやすくまとまっていたように思う。
 誰かに感謝されるために戦っているわけではない。それは3話で戦兎が言った「見返りと求めたらそれは正義とは言わない」にも返る。ラブアンドピースという絶対的な主軸をもとに戦う桐生戦兎は紛れもなく仮面ライダーの主人公だ。
 それでも誰かがちゃんと知っている。それは大枠で見れば万丈という唯一無二の相棒こそが体現していて、彼をはじめnascitaの仲間たち、今作で言えばビルドに助けられた姉弟が、ちゃんと知っている。
 その助けられた姉弟の弟と戦兎がハイタッチをするシーンの爽快感はすごい。この映画はあのハイタッチがあって完成する、そう思うくらいだ。手を振る姉弟を見る戦兎の広がる青空を背景にしたカットは最高にEverlasting Skyだと感じた。
 Be the oneを観たことで、主題歌「Everlasting Sky」を気づけば口ずさんでしまう、そんな夏になった。

 ところで余談だけれど、わたしは北九州の先行上映を観に行った。Tジョイ北九州が入っている商業施設、リバーウォーク北九州はエンディングで流れるドローン映像の黄色と赤色のあの建物である。正直言ってものすごく感動した。単純すぎる気もするが、この感性を大切にしていきたいと思う。自分が今まさにいる場所がスクリーンに映るのだ。聖地で映画を観るという経験はなかなかない。台風直下の帰り道さえも、いい思い出だ。

仮面ライダービルド47話

 この作品、登場キャラクター達に思い入れが強すぎて、誰にも消えてほしくない、みんな生きて、ハッピーエンドで終わってほしいとずっと思っていた。バドエンやメリバを好むと自称しつつも自分自身の本音はハピエン厨なのだとビルドに出会って知ってしまった。だから47話の予告を見た時が一番苦しかった。
 けれど47話を見て、わたしのハピエン厨的な考え方はガラリと変えられた。
 あの世界に生きる者達の人生がそれぞれの物語として美しすぎるのだ。彼ら、彼女らの記憶と物語を心底愛したいと思った。消失が彼らにとっての最上の選択ならば何も言えない。受け入れようと思えた。絆、忠誠、覚悟、消失…そういった力強いものが世界を形成し物語を紡ぐのなら、それはそれとして愛したい。

 まず一番の衝撃はなんといっても内海成彰という生命だ。彼は12話で退場し、そしてわりとすぐに復活した。その復活した時から"サイボーグ"だったらしい。
 エボルトの手によって難波会長が消えてから、壊れたようにエボルトに忠誠を誓っていた内海は、実は難波会長の仇を取るためにエボルトの元にいた。難波チルドレン仕込みはすごい。全く分からなかった。さすが難波チルドレンとしか言えない。
 彼は難波会長に洗脳されるように育てられた。客観的に見れば、内海が難波を恨むことも、そんな難波が消えて気が狂ってしまうことも、"分かる"のだ。だから見破れなかった。エボルトに忠誠を誓うことが理にかなっているとどこかでそう呑み込んでいたから。
 しかし彼は最期まで難波会長に忠誠を誓っていた。植え付けられた"全ては難波重工のために"の精神は彼の中で本物として育っていたんだろう。自身に洗脳を施した相手に尽くし続けた内海成彰という一生命体の人生が本当に美しいと思った。
 元難波チルドレンの紗羽さんが、とうとう壊れた彼を呆然と見る様子が印象的だ。難波の洗脳を解くことができ、それからずっと戦兎らライダー達や美空を支え続けた彼女は、ああいった様子を見せるのは初めてだと思う。強い女性像として描かれていたであろう彼女が弱くなってしまう、そんな片鱗を見た気がした。彼女もまたヒロインなのだ。

 そんな紗羽さんと共に過ごしてきたもう一人のヒロインもまた、生命の消失を見届けている。
 石動美空と猿渡一海。アイドルとドルオタ。その距離感がずっと守られていた。グリス登場時、"美空"を初めて見た彼が「あの女、どこかで……」と呟いた時からわたしはこの二人の物語が動くのをずっと待っていた。けれどいつまでもアイドルとドルオタの距離で、いつしか、こうでなくてはいけないのだなと察してただ見守っていた。しかし、やはり物語は動いた。
 美空はいつまでも彼のことを"グリス"と呼んでいた。名前で呼んでくれないんだなと嘆く彼に、「名前呼んだらいなくなっちゃう気がして、だから呼べなかった」と言う彼女はなんとなく察していたのだと思う。
 猿渡一海のキーワードは"故郷"、"仲間"だと思う。彼にとってかけがえのない仲間達・三羽ガラスを失って、彼は新たな仲間達が掲げる愛と平和のために命を尽くすことをもう随分前から決めていたのかもしれない。戦いを通じてできた仲間のいるこの世に未練を残しつつ、推しに看取ってもらえた彼の生き様は、これもまた一生命の物語であると呑み込まざるを得なくて、こんなに苦しい美しさを浴びることはそうないだろうと思った。

 次回はどうやらローグ/氷室幻徳、そしてクローズ/万丈龍我の番らしい。
 パンドラタワーに突入してからの戦兎が先に進むのを促す言葉を何度も聞いた。戦兎は何をしようとしているのか。グリス/猿渡一海の消失は決して望んでいたことではないはず。けれど、戦兎には「新世界」の覚悟を感じる。彼がやろうとしていることは「新世界でまた会おう」ではないかと思った。それは戦兎と万丈が二人だけで果たそうとしているのではないか、と。どんなに憶測しても運命はもう決まっているのだから何も言えないけれど。
 47話の戦兎と万丈のあの引きのカットがとんでもなくエモい、と思う。一海にどうしてそんな危ないものを使わせたのか、作ったのかと問い詰める万丈はただ気持ちが溢れただけで、本当は分かっていたのだと思う。戦兎に表情一つで気付かされ、ただ縋るしかなかった。46話で戦兎が万丈に話したことをわたしたちは知らない。彼らだけが知っている。彼らは分かっている。戦兎の「行くぞ」に込められたものを、おそらく次回知らされるのだ。
 次回、48話「ラブ&ピースの世界へ」いよいよ仮面ライダービルドが完結へと向かう。そんなことが嫌でも分かってしまうタイトルだ。
 ビルドの世界で息づく生命達の物語は終焉へ向かうのか、続くのか。わたしはエモーショナルで美しいものを愛している。仮面ライダービルドという作品を好きになるのは至極当然のことだった。出会えたことがただただ嬉しい。だから終わることがちょっぴり悲しい。けれど、わたしたちを虜にした生命達が紡ぐ物語の結末を愛したいと、そう強く思っている。

*1:月刊TVガイド9月号