壺の中の泉

きらめきたい

メサイア暁乃刻について、そのいち。

 副題、"メサイアという残酷なシステムおよび作品への賛美"
messiah-project.com

 Gyao!さんでのアンコール配信、三日間。6周しました(まじかよ)
 ※ネタバレあり 個人的見解の覚え書きです。全然まとまらないからできるところまで。あと最後にひとつ思うところを。

 まとまらないのはだいたい加々美いつきのこと、有賀と加々美のこと、その周りのことです。別途で書き出せたらいいな。
 暁を見てわたしの身に起こったことは、とうとうえりオフィスさんのtwitterをフォローしたことと今現在キャストサイズチャンネルに入会しようか迷っていることです!!!


▽プロジェクトネクロマンサーと、これに関する今回のあらまし(考察込み)

 一嶋係長と、同期の雲井蓮で始まったプロジェクト。完全なスパイをつくるため、AI(人工知能)を開発していた。劇中ではいいように言っているけれど要するにGなんだなって思った。でもGは人間だけどこちらは人工知能だからいいのかな。
 制限値を設定しながら学習を繰り返させることにより、AIは成長を繰り返した。そしてある程度の成長が確認されたところで、雲井の裏切りによりプロジェクトネクロマンサーは北方連合へ。雲井はもとよりそのつもりだった。この裏切りの際、雲井は死を偽装している(=時系列はおそらく鋼ノ章)。そして学習の制限値を開放し、爆発的な成長をはかった。しかし成長しすぎたAIは制御不能に陥り、ネットワークに棲む生命体となった。ちなみにこれをネクロマンサーと呼んでいる。
 またプロジェクトネクロマンサーの一環(?)で、雲井は脳にマイクロチップを埋め込むことで死体をも操ることができるようになっていた。これが今回の話での新たな敵。そういえばGが全く出てきませんでした…。
 もちろん死体でなくても操ることができる。雲井蓮は加々美いつきのおじ、育て親だ。雲井はいつきの脳にマイクロチップを埋め込んでいた。そして"遺言"としていつきがチャーチに入るよう仕向ける。これはいずれチャーチを、サクラを壊滅させるためだろう。時期がきたら、ネクロマンサーにチャーチのシステムを乗っ取らせ、そこからいつきの身体にネクロマンサーをおさめるのだ。
 そして"ネクロマンサーをチャーチに"の段階をクリアするために雲井は悠里淮斗を利用しようとした。
 ところが雲井の計画通りには行かず淮斗は協力を拒否。しかしその後淮斗がネクロマンサーと融合。そしてネクロマンサーは悠里淮斗を掌握した(つもりでいる)。劇中のセリフを借りるならば"悠里淮斗の死は無駄となった"のだ。ところが融合していることに違いはなく、護に会いたいという淮斗の意思が影響したのだろう。偶然にもネクロマンサーはチャーチのシステムを乗っ取った。そして、"運良く"雲井の計画は元通り。いつきを挑発し、自分のもとへ会いに来させて、五係に自ら拘束されることでチャーチに入り込んだのだと思う。(これはいつきが雲井を殺さないという自信があったからだろうか?)無事にネクロマンサーをいつきの身体を利用して捕獲。ここからの計画は何がしたかったのかは謎。


▽卵メサイア共依存の果て

・事の顛末は
 ネクロマンサーの捕獲ミッションに参加していた淮斗。そのミッションの最中にプロジェクトネクロマンサーの企画立案者であるチェーカー(雲井蓮=いつきのおじさん)に仲間にならないか、と誘われる。一方護は別ミッションにより北方連合のアジトに潜入するも、敵(=脳にマイクロチップを埋め込まれた死体=スペクター)に拘束される。護が拘束されたのは全て、チェーカーの思惑によるものだった。瀕死状態の護の姿を淮斗に見せて、彼を助けたくば言う通りにしろ、と。
 しかし淮斗は「断る」と言った。これについてチェーカーは淮斗なら「悪魔にでも魂を売ると思っていたのだが」と。そしてチェーカーは淮斗を始末しようとし、瀕死状態になった淮斗はチャーチの奈落=公安五係科学捜査班のDr.TENのもとに駆け込んだ。Dr.TENがプロジェクトネクロマンサーに秘密裏に関わっていたこと、ネクロマンサーが人間の脳と融合できることを知っていて、淮斗はもう自分は助からないことを悟りネクロマンサーと融合することを志願する。
 ネクロマンサーと融合して、護を拘束している敵を操り、護を守ることが淮斗の目的だった。護は「大丈夫だよ。護のことは僕が守る」という淮斗の声を聞く。
 淮斗の"第一発見者"は一嶋晴海公安五係係長、豪徳寺天心(=おそらくDr.TEN)
 護は瀕死状態から復帰すると、淮斗の"失踪"を一嶋係長の口から聞く。

 半年後。依然として淮斗の行方を掴めない護は卒業ミッションを言い渡される。それは直前のミッションで動きを制御されて自らを撃つことで死んだ外交官(実はスペクター)が言い残した「ネクロマンサーに気をつけて」の真相解明。代理メサイアに黒子(=百瀬多々良)。
 チャーチのシステムがネクロマンサーに乗っ取られる。ハッカーには特有の癖があり、それがこのネクロマンサーと悠里淮斗とが一致していると、Dr.TENが言う。一嶋係長はプロジェクトネクロマンサーの件は「私が預かります」と言うも、引き下がりたくない護。

 国防隊の陰謀により五係が事実上解体させられたり、チェーカーにより脳にチップを埋め込まれていたいつきの肉体がネクロマンサーに乗っ取られたり、カオス状態のミッションの最中に半年前の事実をチェーカーから聞かされる。つまり淮斗が「断る」まで。チェーカーはメサイアなど、そんなものだ!」と。
 それを聞かされた護は、淮斗の死の真相を悟り、黒子から事実を全て聞く。

 極限状態でのミッション。でも護は「淮斗と一緒なら」と。
 戦争は消えないと学習したネクロマンサーは人類を滅亡させようと世界の主要都市のシステムをロックし、核ミサイルを発射させようとする。
 しかし護は一嶋係長とDr.THREEに頼み、ネクロマンサーに自分と淮斗が生きた証を流し込むことでネクロマンサーの無力化を図る。
 データを流し込まれたネクロマンサーは世界をアンロック、無力化。

 護はチャーチを卒業し、サクラとなる。
 サクラとなった護が大勢の敵と戦っている時。倒した敵の一人がジジ…と電気を走らせて起き上がる。それはおそらく、淮斗。

・「ずっとだよ」
 自分を守り死んだ相手がいて、貰ったこの命で生き続ける、ああ…王道を歩んだなって思った。そして、なんだか妙に引っかかって、言いたいことはいろいろあったのだけれど、それ以前に事実を受け入れることができなくて。考えることを脳が拒否していたなあ…と。
 でも3周目でようやく、ラストシーンでの淮斗の影は、敵の身体であり、それを淮斗が乗っ取ったのだということに気付いて。
 サクラとなった護と共に戦うために、敵の一人の体を乗っ取ったんだって。ネクロマンサーは元々淮斗の脳と融合しているのだから、淮斗と護の生きた証というデータを流し込まれたことできっと悠里淮斗としてネットワーク上に存在する生命体になったのでは。だから護がサクラとして鋼の意志を貫いている時、いつだって「護のことは僕が守る」んだ。
 翡翠ノ章で淮斗は言いました。「一番深いところで繋がり合ってる、そんな関係になりたいんです」本当にその通りになったね。共依存の果てを見たって思った。最初は王道過ぎるし、そ、そっかあ…って感じていたけど、淮斗はいつだって護のそばにいるし、正義の味方である護を守り続ける。護は淮斗に助けられた命で、いつだって淮斗を感じながら、生き続ける。戦い続ける。
 これが卵メサイアの、彼らの果てだと思うと、よかったな…としみじみ思います。究極のメリバだなと思うけれど、だってメサイアという作品そのものがメリバですからね!
 書き出すと思うところが止まりません。

・今思うと
 翡翠ノ章(淮斗)「僕と護なら海棠さんと御津見さんを超えるメサイアになれる、そう信じています」――なったと思う。正直、超えた。さすがにずるいのでは?(号泣)
 鋼ノ章(護)「こいつの全部は俺のものだし、俺の全部はこいつのものだ」――淮斗が護を助けるためにネクロマンサーと融合した時点で淮斗の全部は護のもの、不変の事実となった。
 鋼ノ章(有賀→淮斗)「同じ景色を見たいと、そう望めばいい。自分のメサイアと」――淮斗の成長の大きなきっかけとなった言葉だと思う。そして成長の果てが今回の暁乃刻なのだろうな…。

 ※随時追加できたらいいなと思います。


メサイアを思う

・超個人的な感想
 暁乃刻でつくづく思ったのが廣瀬大介ってずるいな…って。いやあ改めて。そう思いました。ずるい、あの声ひとつひとつがずるい…!
 稽古場に行ってらした時から声の出演あるかなあと思っていたので、今回のこの形はすごく嬉しかったです。それに心にぐっっとくる声…ずるいですね……ずるいよ……
 しかも「大丈夫だよ。護のことは僕が守る」あたりは台本にないセリフですよね。演出の西森さんが"自由に"という指示を出していたと聞いて、ああ…ってなりました。
 最後の「護…」という声が、なんかねもうね、やっぱりずるいな!!!って感じですね(語彙力とは)この作品を、芝居を楽しむという視点で見るなら、廣瀬さんの淮斗をこんなにも楽しめるとは思わなかった。贔屓目かもしれませんけど、すごいですね…ずるいよ……

・そして卒業
 大千秋楽(大阪)での廣瀬さん登場サプライズ。メサイアって…いいな……以上です。心よりおめでとうございます。
 卒業する二人が真ん中で花束を抱えている集合写真を翡翠ノ章で見た。今回、暁乃刻でもそれが見ることができるなんて思っていなくて、その写真を見たときはほんとうにうれしかった。それに深紅の四人の写真も。正直ここまで予想していなくて、感動しています。


 幸せな景色が広がっていたのだと思う。同時に残酷だとも思った。翡翠で生メサイアを経験してからずっと思っていたのが、役とキャストがリンクしているということ。あくまでこちらが勝手に思っていただけだったのが、新シリーズになってからは公式側がそれを前面に出してきた。メイキングや座談会などで役と共に成長していくという話は聞いてきたものの、"一度貰った役を他の誰かが演じることはなく代役を立てない"という話や"役と本人を織り交ぜていく作業をする"という話をキャストの方々の口から聞くようになったのはこの新刻シリーズから。本当にそうなんだとも思うし、何も驚かないけれど、改めてそうだと言われるとなんだかこの作品の在り方と覚悟を見せられているようで。
 キャスト変更がないとか、それがあまり許されない空気とか、続編とか、我々ファンが望んで声を上げてはいるけれど、それってかなりくるしくてしんどいことなんだなあとメサイアに触れて思いました。見ている方がつらいこともある。続編は常に前作を超えていかなければならないし、続けば続くほどハードルが高くなる。そしてキャスト変更がないということはどういうことか、それは暁乃刻がすべて教えてくれた気がする。
 だからこそメサイアという作品がこの世に存在していることが奇跡のように思えるし、神秘的だとすら思う。多くの方々のたくさんの力があって、ようやく立っていられる。素敵な作品だ。わたしはカーテンコールでの拍手こそ一番の感謝だと思っている。最も新鮮で、直接届けることができるから。メサイアは配信でも見ることができるが、わたしは感謝の意を伝えるために劇場で観たいと思った。もちろん生メサイアの迫力を感じたいし、舞台なのだから生にこそ価値がある、そういうことも含む。けれど。とにかくカーテンコールで拍手を届けるために、この凄まじい作品に対して1ミリでもいいから何かを返したい、そのために。まずは悠久乃刻に向けて、歩み出そう。

krgph.hateblo.jp
(続いた)