壺の中の泉

きらめきたい

プログラムされた運命と無二の絆/仮面ライダービルド

 お久しぶりです。先月は記事をひとつも書いていなくて自分のことながらびっくりしました。
 メサイアとかいう作品の美しき地獄に翻弄されつつも単純に忙しかったのと、ニチアサに心を荒らされていました。
 主人公の顔がいい!好み!視聴続行!っていう軽い気持ちで追いかけていた子供向け番組がまさか「壮絶な運命を背負わされた男二人が深い交わりの中で絶望を繰り返すドラマ」とは思わずに気づけば沼の底です。事前情報でバディものだと知らされていたらしいけど、わたしはそこをしっかり認識していなかったので……まあニチアサだから!最後は救いあると信じていますが!

 さて、ビルドの話をします。35話までのネタバレあります。

 記憶喪失の天才物理学者桐生戦兎と冤罪事件で投獄された脱獄犯の万丈龍我が偶然出会い、仮面ライダーに変身して愛と平和のために戦う話だとつい最近まで信じていたように思います。
 その実態は、惑星をまるごとひとつ滅ぼした地球外生命体(エボルト)の一部である万丈と、戦争の道具を作り出した悪魔の科学者である葛城巧その本人である戦兎が意図的に出会わされ、ヒーローとして戦わされていたという話でした。しかも戦兎=葛城巧の父は万丈の研究をしていた。事実が重い。感情論がどうであれ、事実は不変なんです。どんなに彼らの絆が愛と平和という軸のもとに育まれていたとしても、事実は変わらない。
 彼らの運命はエボルト本体によりプログラムされたものでした。すべての元凶はエボルト=スタークです。エボルトにとって不測の事態だったのは、地球に潜り込ませた自分の一部が胎児(万丈龍我)に憑依したこと。生まれた瞬間にエボルトとしての記憶を失い、ただの人間に成り下がったこと。でもそれくらいでは動じず、万丈に試練を与え続けて自分と融合できるレベルまで育て上げた。自らがヒーローに仕立て上げた戦兎と出会わせ、指針とさせ、絆を深めさせることで、エボルトはますます最強!というわけです。
 ところで今この文章をビルドを知らない人でも分かるようにという気持ちで書いているのですが、まるでむりですね!複雑!とりあえず見て下さい!!
 ビルドはキャラクター設定がかなり練られているようで、次から次へと真実が明かされ、すべて繋がり、気がつくと底なしの深い運命の中にいます。地表にあった輪っかを描く先が下へ下へと繋がっている、そんなイメージです。たぶんまだ何かあります。よく考えれば解決していないことがたくさんあるので。

 とにかく、ビルドのストーリーは何がどうであれとりあえず元凶がブレません。どうせスタークの仕業でしょう?ということを繰り返してきました。
 エボルト=スタークは、はちゃめちゃに魅力的な悪だなと思います。最高にずるい。人の心をね、掌握するスペシャリストなんです。就活生のわたくし、面接官の話のうまさがエボルトに見えましたもん。おたくでよかった。これからは面接官をエボルトだと思って挑みます。
 戦兎と万丈を最高の相棒にしたのはエボルトだと思います。彼らが彼らであったからこそ、ベストマッチな奴らだったからこそ、ではありますが。そう仕向けたのはエボルトです。エボルトの目的は「お前達の成長だ」と一貫していました。切磋琢磨し合って成長すること。それがエボルトの計画の武器となるのでしょう。思惑通り、彼らは唯一無二の相棒になりました。どちらかがピンチの時にはもう一方がその身を投じて助ける。また、どちらかが闇に落ちてしまいそうになれば、どちらかが光となり引き上げることができる。万丈のために戦兎にアイテムを発明させ、戦兎を想う気持ちのために万丈のハザードレベルを上げさせる。全部エボルトの掌の上!
 エボルトに掌握されているのは彼ら二人だけではありません。当初はナイトローグ(氷室幻徳)がそうでしたね。すごいもてあそばれていたね、ちょろかったね(笑)そして、世界を手に入れようと目論む難波会長。難波会長はいつもギリギリの行動をするエボルトにいつも丸く収められています。下手したら怒らせてしまうところを、「俺はあんたに忠誠を誓っている」などとうそぶいて今後いいようにしてやるからなんて言って、あの大物を言い含めるのだからすごいです。
 そして何より、仕草がずるいですね。そこは視聴者がターゲットなのでしょうか。絶対悪なのに不快感よりも清々しさが勝つ。10話の「パンドラボックスを頂きに参りました」のお辞儀しかり29話のパンドラボックスを前にして指揮を取る姿しかり……一言で表すと人類(おたく)が惚れ惚れする振る舞い。最高に憎いのに憎めない!こんなにも魅力的な悪役とは、予想こそしていたけれど、それ以上でした。

 そんなエボルトと対峙してきた火星の王妃ベルナージュ。ベル様。彼女が言うには、万丈が「最後の希望」だそうで。それはきっとエボルトの一部でありながら戦兎に導かれた”万丈龍我”というたった一人だからこそだと思います。ビルドは回収しない伏線はないようなので、最後の希望を信じたいです。
 世界という盤の上で生きとし生けるすべてを駒として動かしてきたエボルトの企みを壊すのは、”対応できない想定外”であるべきだと思います。そしてそれがエボルト自らが育て上げた”ベストマッチな奴ら”であることが、美しく正統な筋書きです。

 ベストマッチな奴ら。1話のサブタイトルがこんなにも響くとは。
 おたく全開で言うとね、二人の関係性が刺さる。とにかく刺さる。ただでさえ好きな「男二人」というモチーフに、「プログラムされた運命」だとか「太陽と月」だとか、お互いのための自己犠牲精神……絶対に本人の前ではそんな態度見せないのにね。平ジェネでやっと万丈と会えた戦兎が「ちょっと太った?」と言うのはさすがに笑いました。おいおい。
 34-35話はその点でかなり脳天をやられる回でした。万丈が戦兎のために命を差し出すという覚悟の独白は見入りました。「お前のせいで愚かな人間から抜け出せねえみてえだ」の破壊力たるや。自分が人間ではないことを呑み込みつつ、戦兎に出会えたことで幸せだったみたいな言い方…!
 毒に侵されていた戦兎はそれを見て夢だと思い込んでいました。夢って心の鏡ですよね。「あいつの声が聞こえたんだ」って優しい表情で当たり前のように語る姿を見て、”二人であること”の深さを感じました。あと戦兎が思った以上に万丈の諸々で取り乱していてわたしは嬉しいです(こら)
 戦兎に導かれた万丈が、迷う戦兎の光となる。まるで鏡のようで、そうではない。何故なら万丈は戦兎のミラーではなく、自分の意思で動くからです。
 万丈の指針、”心のなかの主軸”*1は戦兎だけれど、神様として信仰しているわけではない。自分が信じた桐生戦兎の記号としての概念が万丈にとってのすべてであり、戦兎がそこからブレようものなら引きずり戻すことができる。そしてその概念は万丈自身がその目で見る戦兎によって更新され続ける。最強のベストマッチだな、と思います。唯一無二のバディです。
 どちらかが堕ちそうになればどちらかが引き上げていましたが、彼らを取り巻く運命が過酷でそろそろ分からなくなってきました。太陽と月は地球を照らしてくれると信じています。逆に言えば、地球が暗くなるのは太陽と月が滅ぼされた時ですね。今自分でキーボードを叩きながら頭を抱えています。
 万丈を乗っ取ったエボルトが「戦兎…助けてくれ…」って万丈の声で惑わせたその隙に攻撃して「いい声してるだろ?」ってゲスにも程がある。いっそ最高ですね。憎いよ、憎い。悪魔のキューピッドだ。そんなエボルトの思うがままだった二人が、エボルトにとって"対応不可能な想定外”であることを願っていますし、エボルトの思惑を超えることでプログラム外のベストマッチとして昇華してほしいです。
 

 ビルドにここまでハマると思っていませんでしたが、キャストさんの影響がかなり大きいと思います。好きなんですよね~…明らかに……顔が好きと演技が好きとその他諸々を網羅しているので。うまいこと二人セットでわたしにとっての好きを詰め込まれています。
 犬飼さんと赤楚さんのお二人もベストマッチだなと思うしキャスティングってすごいですね。こういうバディもののキャスティングってだいたいえげつないくらい相性がいい人達であることが多いですよね。どうなってるんだ世界。対談しかりSNSしかり、見ていて心地よいです。
 元々かなり好きでしたが34話ですっかり赤楚さんのファンです。アマゾンズは見れませんが。ぐろいの苦手なんだ!くやしい!でもがんばりたい!前後のトークショーだったりキャラクターブックだったり、素を見る機会が多かったというのもあります。トークショーであった”万丈化している”という話がおもしろかったのですが、だんだん境目がなくなってきてるのかな~と思います。なんだかふわふわしているようにも感じますし。お披露目の頃と最近を見比べたら明らかに何かが分かる気がします(?)夏映画の北九州ロケの写真にあの笑顔でダブルピースなものだから、こんなにも視聴者(わたし)をつらさでいっぱいにさせている張本人なのに……という気持ちになりました。好きです。
 ”万丈化している”とは言えど、発する言葉の一つ一つに程よい鋭利さを感じます。33話と34話の間で発売されたキャラクターブックNo.1では、万丈を”人間化”させたいと仰っていて、思わず息を呑みました。他にもいろいろ、言葉に魅せられることが多いです。
 様々な記事を読んでいて、犬飼さんが(絵面などを)緻密に考えるタイプの人で、赤楚さんが感情を優先するタイプ(だからどんな絵面になっているか分からない)の人だということが分かりました。*2ベストマッチすごいな~!わたしは役者さんのお芝居をタイプ分類した時にこの2タイプの要素を極端に持つ人が好きなので、好きだな……と思いました(日本語がんばれ!)
 34話ですっかり…と言いましたが35話は戦兎の万丈を想う表情にやられて、あ~~好き!ってなっているので(おたく)どうしようもないです。戦兎は言葉ではなんてことないように見せることが多いので、あのめちゃめちゃ大切じゃん!みたいな優しい表情が必要なのだと思います。

 ビルドは事実の重さと展開の早さだけでも頭がパンクしそうですが、それに加えてキャストや演出の観点から見ても好きが溢れて毎週日曜日どころか毎日頭を抱えています。情報量が多くて、視聴者としてもどこから感想を述べればいいか分からない。言いたいことがたくさん出てきます。今回は”二人”に絞っていますが。
 残り1クールも残っているなんて信じられないし、まるで45-50話付近を繰り返しているようにも思いますが、ただただ愛と平和を祈っています。そして二人の幸せを。夏映画の黒装束万丈さんにびびっていますがビジュアルが最高なので大丈夫です(何が?)でもあのダブルピース笑顔に謎の安心感があります。*3

 ”二人”のプログラムされた運命がたまらなくエモい映像美となって毎週日曜日朝9時からテレビ朝日系にて放送されています。かけがえのない”二人”の幸せを全人類に祈ってほしい。でもきっと彼らなら大丈夫。信じています。


 P.S.実は万丈呼びに慣れなくて普段は龍我くんって呼んでいます。1話からそうしてたんですけどいつのまにか万丈呼びが定着しすぎていてなんとも言えない気持ちです。すっかりカズミンで定着した彼のことも猿渡さんってずっと呼んでいるのに世間はいつもそうやって……!なぜ…!以上どうでもいい話でした!(?)

*1:HEROVISION vol.67の対談より

*2:主にキャラクターブックNo.1を読めば分かります

*3:映画「仮面ライダービルド」北九州ロケにエキストラ3000人、万丈は黒ずくめで登場 - 映画ナタリー

まるい地球に奇跡が生まれ/ わたしとわたしの好きな役者とヘタミュの話

 こんなにしあわせなことがあっていいの?
 わたしはヘタミュが大好きです。それはもう、たまらなく。わたしにとっては奇跡のかたまりみたいな世界。
 これから支離滅裂な文章を書きます。
 すべての文章に、「これは主観ですが」という前置きがあります。もしこれを読む方がいれば、それだけは分かって読んで下さい。これは事実ではなく、わたしが感じたことです。

 ヘタミュに関して、わたしは原作ファンであり俳優ファンです。推しが推しを演じる世界。奇跡でした。いや、正直言うと初演に触れる前は"無理"だと思っていました。あの頃の気持ちなんて今はどうだっていいので、そのあたりは割愛します。けれど、これだけ。
 例えば廣瀬さんのことは薄ミュやメサイア、ドグマグなどを見て元々好きでした。けどね、ヘタミュの前後で明確になにかが違う。なんだろう。ほんとうに、なんだろうね。(※これは幕張の時に書きました。大阪での挨拶で、少しだけ何かが分かりました。)
 でも今更そんなことを考えるのもばかばかしい。だって、今という世界は唯一で、様々な奇跡が重なってできているんです。わたしはとんでもない奇跡を享受した。それだけです。

 思えば、ヘタミュというジャンルは世界に愛されているんじゃないかって。すべての歯車が噛み合ったからこそ、幕張の地はたくさんの幸せに満ちていました。

 これはまるっきり私情なんですが、わたしは財力がありません(私情)
 これはみんな同じなんでしょうけど、ほんとうにチケット1枚1枚の価値が重くて。生で観るのは1回だけだから、その一瞬を本気で楽しもうって思うんです。何回か通う時も同じですが、やっぱり"1回だけ"となると話が違う。しかも世界一と言えるほど大好きなジャンルで。どうして通えないんだろう。なんども悔しい気持ちになった。通えるチャンスって、夏休みと春休みしかないし、いつも春に稼いだ分で夏に行くから、今まで通ったものはだいたい9月なんですよね。完全に私情です。
 一番思い入れがあるのは第二弾です。なんとか大阪に滑り込んで観に行って……東京に行く方がいろいろと安く済んだし、行けたはずなのに、なんで大阪に行ったのか未だに謎です。まあおかげで「いけないお嬢さんだ」の回に当たったから、そういう運命だったのでしょう。
 大阪の前に配信で予習したなあ……ピロティで溢れる幸せを抱えながらライビュの譲渡を探しました。新感線で博多に帰ったその足で映画館に行ったのは良い思い出です。朝早かったから徹夜明けだったのにヘタミュパワーで頭は冴えていました。
 ライビュ会場は一体感がすごかったのを覚えています。スクリーンが真っ暗になったあとシアター内に響く拍手は今まで感じたことのないものでした。ヘタミュ、すごいなあ……と思ったのはあの時でした。

 さて、ヘタライの話をします。ネタバレ配慮していません。
 これまた私情なんですが、実は行けるか行けないかの瀬戸際で、いろいろと世界がうまく回ってくれたので無事幕張に行くことができました。行けてよかったーーーー!

 全世界がいりりすの女なのにふら…すに取られたーー!っていうオチでした。ヘタライの感想第一声がこれでした。いやそういうことじゃないでしょって思いますけど、だって事実なんだもん…みたいな……(?)ああでも、大阪はいろんなものを見た。どのくにもみんなのもので、彼らのもの。
 廣瀬さんのことをファンサの鬼*1だと思ってるところがあるんですが、撃ち抜かれすぎてしぬかと思いました。初っ端からアクセル全開のパフォーマンスで、あまり記憶にございません。いりりすそんなにかっこよかったっけ…?!いやはや、ほんっっっとうにとてつもなくかっこよかったです。終わった後しつこいくらいかっこいいよ~~~って喚いていました。かっこいいです。
 まるかいて地球の時にカメラに向かってウインクされた時ほんとうに悲鳴が声になりました。そういうとこだぞ!ファンサの鬼だ~~って思います。こういうのが終始続いていました。ライブってすごい。
 薄ミュLIVEの映像を観た時からこのひとのライブパフォーマンスを浴びたいって思っていました。3年越しに叶った。大好きなジャンルで叶いました。幸せだなあ。

 2年半前のわたし、覚えてる?今、桜のペンライトを振っているよ。いろいろな気持ちが溢れている。
 舞台化が発表されて、首を傾げたよね。でもキャストが素晴らしいことはすぐに分かって戸惑った(笑)
 評判のよさに流されてなんとなく触れて、そうしたらもう深い深い世界だった。
 第2弾はアルマダ領だったわたしにとってはたくさん知識を集めてハマった大航海時代の話だからって、すごく思い入れた。そうしたら兄弟に持っていかれて、なんかとりあえずすごかった。
 あれからいろいろあって、第3弾はキャスト変更さえ危惧した。あの人とかあの人なら許せる、とまで考えた。まさかあのヘタミュがキャスト変更するとは思えないっていう気持ちは、今なら確信できるけれど、あの頃は半信半疑だった。ヘタミュは最初からこんな風にかけがえのない唯一無二の愛に溢れた家族みたいな作品だったわけではなく、少しずつ歩んできて今があるのだと思います。大阪での最後の挨拶で、SWの時は、GWの時は、NWの時は…っていう話をキャストから聞いて、そう思い出しました。今、初演からの自分を振り返ると、気持ちが変わっているんです。ガラスのコップに、少しずつ注がれていくように愛が溢れたのかなあって。
 
 ヘタミュは奇跡の作品だと思っています。
 最後のライブは1時間20分押しでライビュは中継終了するぐらいです。明らかに、他とは違うって胸張って言える。胸張って…って言い方はなんかおかしいけれど。物理的に、圧倒的に、何かが違う。
 こんなにもかけがえのない作品になったのは、たまたま集まった"人"の歯車がすべて噛み合ったからだと思います。何か少しでもずれたら生まれなかった。だから奇跡なんです。誰かがこの愛のために頑張ったわけではない。だから、ヘタミュは神様が愛してくれた、奇跡なんです。

 そんな奇跡のジャンルで、人生を変えられたのはキャストの皆さんでした。ただの一ファンがこんなこと言うのはおこがましいですが。
 ヘタミュがあったから今がある人、たくさんいる。ヘタミュがあってよかった。
 わたしは廣瀬さんのことが好きなので、これに関してはヘタミュに感謝してもしきれません。ほんとうによかった。
 最後の挨拶のことです。"そんな時にヘタミュに出会った"のくだりを聞いた時に、もうなんかすごく抑えきれなくて号泣してるのに涙は出てこなくてへんな嗚咽だけ出そうになって、わけわかんないよね(笑)
 わたしが聞いたこと、見たもの、感じたことはどう頑張っても言葉にはできません。スクリーン越しだったけれど、少しは感じ取ることができてたらいいなあと思います。誰かが話すことを100%理解するなんて無理じゃないですか。今まで見た作品やインタビュー記事で知り得たことを踏まえてやっと噛み砕いている。とっても繊細でガラスのような言葉を聞かせてもらったな、と思います。
 だからまあここでは何も書きません。ちょっと書いちゃったけれど(笑)
 わたしは事実であることとそうでなくてもプラスであることならなんでもいいと思っているから、こういうことを言います。分かる人が分かればいいと思うし、レポを見ただけでマイナスに捉えるのはやめてほしい。レポは事実ではありません。これはヘタミュに限った話ではないけれど、声と文字はそもそも異なるものだから、その時点で違っているんです。声には色と音があります。
 大阪で起きたことは全部円盤に収録されるから。夏発売です。買って見てね。大阪ライブ映像としか書かれてないから夜公演とは限らないけれど、収録されるのは夜だと信じています。
 キャストの皆さん全員の言葉が重たかった。これだけ長々と書いて何なのって感じではありますが、廣瀬さんだけではなく、キャストの皆さんが全員ヘタミュのことを特別に思っていることが分かりました。言葉ってとても難しくて、その強烈さとか聞く人の気持ちとかで、印象に残る部分や切り取られる部分が偏ってしまう。でも一歩引いてもう一度見渡してみることは、どんなことに関しても大切なんだと思います。
 わたしは舞台は演劇だと思っています。いやすごい当たり前のことで何なんだって感じですが。その演劇とは何かっていうのは分かんないですけど。でも芸術だな、とは思っていて。夢の国とは違う。そういうものもあるかもしれないけれど。舞台上が全てで、見ているものが全て。そんな中でヘタミュは、うまく言葉にできないけれど、それ以上の何かがそこにあって。奇跡という名前のエネルギーが存在するなら、きっとそれだと思います。大阪の最後の挨拶で、キャストの皆さんが話してくださったことや、あの時間は、舞台作品という枠組みを超えた何かだったのかなあ…なんて考えています。ヘタミュはひとつの概念なのかな。唯一無二の奇跡だと思います。

 わたしは廣瀬さんのお芝居が大好きで、ステージパフォーマンスが大好きです。
 幕張楽に聞いた、ヘタミュのことを「誇りに思っています」という言葉が突き刺さる。
 ヘタミュがあってよかった。ほんとうによかった。それしかないです。だってなかった時のことを考えると恐ろしくて。
 いつも期待を超えてくれて、"前の方がよかった"と思ったことが一度たりともない。これってすごいことだなと思います。
 いつ見ても、さらに好きにさせてくれるんです。見たあとぜったい引きずるの。好きだなーって気持ちを毎回溢れさせてくれる。すごいよねえ。そんな風に思わせてくれるのは今のところ廣瀬さんだけです。今こういうことを書いてるのもびっくりなんですけれど…人って誰を好きになるか分かんないな-(笑)
 いやはやほんとうに、ヘタミュがなかった時のことを考えると恐ろしいですね。これ、何度でも言いそう。わたしは彼の選んだ道を応援します。舞台に立って!って喚きながら応援します。わけわかんないね。仕方ないよね。複雑なんだけど、そうじゃなくて。でもヘタミュがあったから、今があって、すごく感謝したくて。わけわかんないです。だってどうせ好きだもんね。いつも期待を超えてくれるのはあれから1年と少しが経った今も同じです。

 ずっとプロ精神がすごい人だなって思っていて。それって役者は大変だねとか、そういう話ではなく、他人事ではないんです。大変なのは、そりゃそうかもしれないけれど、自分と切り離してそう言えることではない。廣瀬さんのそういうところ、仕事に対する姿勢とかプロ精神とかをずっと尊敬していました。もしかして人として好きだったのかな。そう思ったことないはずなんだけど。ここにきてそう気付かされたくないな。なんでかな(笑)
 あと、お芝居が好きだってみんな言うよね。みんなっていうのは、そう言ってくれた人を何人も知っているから、そう表現しちゃうだけですが。けれどあまりにもよく聞くから、そういうことなんだと思います。わたしも、そこが一番好きなんです。なんだろうね、あれ。芝居が好きだって誰かが言うたびに、わたしはいつもたくさん頷いていました。

 わたしが俗に言う若手俳優の存在を知って、お金と時間を優先し始めた頃から廣瀬さんのことは知っていましたし、好きだなーってなんとなく思っていました。
 初めて遠征した舞台にもいましたね。それから少し後に、ドグラ・マグラの朗読劇のDVDを見ました。衝撃的でした。うわすっっごいすきだってふわふわしました。大阪の挨拶を聞いた人は察すると思うんですが、あれは植田さんがモヨ子を演じていた時のものです。なんという…ね……(笑)
 それがヘタミュ初演が発表された頃と同時期だったかな。そのあたりはあまり覚えていません。とりあえずわたしの感覚としては、ヘタミュははじめから、推しが推しを演じる世界でした。
 廣瀬さんのことを好きでよかった。英領でよかった。ヘタミュに出会えてよかった。だから、わたしにとってはとんでもない奇跡の世界なんです。
 そうとしか言えなくて、でもまだまだ溢れるものをまとめきれない。けれど言葉にはできなくて。なんだかとにかく幸せだーって思います。

 ヘタミュはゴールテープを切りました。SWから走ってきて、幕を下ろしました。
 美しいまま終わることに最初はそれがいいじゃんって思っていて、けれどライブが始まると、終わってほしくないって思うようになって。でも、最後の最後にみんながステージの上でほんとうに楽しそうなのを見て、わたしも楽しくて、ゴールテープを切ることに対してこれでいいんだって気持ちになって。寂しいけれど、ちょっと嬉しくもなりました。"誇り"という感情に近いのかもしれません。
 これで本当に終わりだということを讃えたくもある。それでこそ、だから。
 けれど。一度幕が下りたものをもう一度やってはいけないなんて決まりはない。わたしの小さな声が届くのならば、アンケートに長ったらしく気持ちをぶつけます。たくさん祈ります。一度生まれた奇跡をもう一度呼ぶんだ。

 とても支離滅裂な文章を書いてしまいました。きっと言いたいことをちゃんと書くことなんてできません。
 ライブ、とっっても楽しかった。ハチャメチャに楽しかったです。脳が処理できないくらい。
 わたしはヘタミュのみんなが好きです。一人一人に感想残したい。またエントリーにまとめることができたらいいな。

 まるい地球に生まれた奇跡を、心の中で大切にしたいと思います。ありがとう、ヘタミュ。大好きです。

*1:ファンサとは、キャラクターのファンに対するサービスすべてを言うとわたしは考えています。観客が求めているもの、喜ぶものをさらりと舞台上でやること。そういうものすべて、だと。