壺の中の泉

きらめきたい

メサイア暁乃刻について、そのに。

副題、"悠久へと"
――あるいは幸せについて。
『テーマ:加々美いつき』

krgph.hateblo.jp
 こちらのつづき。おもに悠久乃刻へ向けた見解などネタバレ込みで。
 なお深紅ノ章の話をやたら持ち出しますが、舞台と映画が微妙に連動していないとか矛盾があるとかそういうのは分かった上での勝手な考察というか覚え書き。長い。

 ちなみに、そのいちの副題"メサイアという残酷なシステムおよび作品への賛美"について、「残酷な」は「システム」と「作品」の両方を修飾している。という余談。


▽加々美いつきと周辺人物
 まずはじめに、わたしは加々美いつきが果てしなく好きだ(何)元々金髪生意気キャラが好きな時点でお察し…それに杉江くんのいつきが好きなんだなあ、と日々しみじみ思う。
 そんなわたしの加々美いつきというキャラクターの解釈(とくに深紅ノ章)は、やんちゃで生意気でガキなところが多く子供っぽい、反面、修羅場での判断力などが異様に大人びている。子供っぽさと大人っぽさが共存しているキャラクター。

 そして今回、暁乃刻。過去にも触れると聞いていたので楽しみにしていた。加々美いつきめちゃめちゃ好きだって思った。好き。

・加々美いつきの過去
 幼い頃に両親を亡くしたいつきを育てたのはおじさんである雲井蓮=チェーカー。いつきは自分の手でおじさんを殺したと思っていたが、生きていた。チェーカーは死の偽装をして北へ渡り、プロジェクトネクロマンサーを進めていた。そしてチェーカーは自身の計画のためにいつきの脳内にマイクロチップを埋め込んでいた。

 いつきがどこか異様に大人びている理由が分かった。
 深紅ノ章で、「俺は一人で十分だ。死ぬ時は死ぬ」「俺、今まで一人で命がけで生きてきたんですよ」と言っている。「死ぬってことは力不足だったってことですよね。守れなかったってのも同じだし」だとも。いつきは"死"を知っているんだ。
 サクラに必要な資質は"深い絶望"である。幼い頃に両親を殺され、その張本人に育てられた。そしてそいつを殺した。(結果としては生きていたが。なんなら脳内にチップを埋め込まれている)

 志倉さんはどこまで知っていたのだろう?鋼ノ章にて。"加々美"と聞いて志倉さんはすぐに察した。いつきの両親は何者だったんだ?鋼を見た時は、一嶋係長の同期であるいつきのおじの名前とピンときての反応だと思っていた。おそらくおじ=雲井蓮のことも連想はしたが、"加々美"と聞いてまず浮かぶのはいつきの両親のことのはず。
 だから"加々美"の名前を聞いて、あのお家に起きた事柄を知っていて、チャーチへの入学を許可したのだろう。でも不思議なのが、加々美いつきという存在をおそらく片隅でも認知していながら放っておいたこと。歴代サクラは皆拾われている。深い絶望を抱える青少年を拾ってスパイに仕立て上げているのだ。酷だな!いつきは拾われる前に自ら志倉さんの元へやってきた。まあ忙しくてそこまで手が回らなかったとか、スカウトするより先にいつきが来ちゃったとか、だと思う。そもそも存在を認知していなかった可能性だってある。どちらにせよ、チャーチに自ら出向いて入学したというのは今までにない。強いて言うなら、悠里淮斗がかつてチャーチに接触したことをきっかけに五係が卵組を拾ったとか、そのくらい。

 おじさんのことを「もしかしてやばいことやってたんすか」といつきは言うけれど、いや両親を殺した張本人じゃないか…。いつきの"やばいこと"って何なのか。彼は幼い頃に両親を亡くしてチェーカーに育ててもらっているから、きっといろんな感覚が普通ではない。
 そういえば、いつきは暁の作中で一度もチェーカーのことを"おじさん"とは呼んでいない(3/16追記:面と向かっては。最初の動画に対しては呼んでいる)。説明するために"俺のおじさん"とは言っても。なんならチェーカーって呼んでいる。というか叫んでいる。(あのチェーカー!」っていう叫び方が好き)(3/6訂正:あのセリフ、今思えば「正気か!」だったような。チェーカーが「引くぞ」って言ったから)

 わたしはチェーカーが「いつき」と呼ぶのが好きだ。いつきに対する振る舞いが好きだ。どうあがいても育て親で、いつきのことを計画のための道具として見ながらも愛でていることには違いない、そんな感じが好きだ。
 考える余地が与えられ過ぎている。護に対して顎に触れて顔を向けさせる様を見ていつきに対しても残酷に優しく接していたのかもしれないなと思う。"一人で命がけで生きてきた"いつきとチェーカーの生活はどんな風だったのだろうと思う。それからチップを埋め込んだタイミングとか。チェーカーがいつきの両親を殺した理由とか。両親の葬式。雲井蓮の葬式。飴の話。

・いつきの復讐
 復讐には向き不向きがあるということをいつきは少なくとも深紅で知っているはず。有賀も。周を見ているから。
 その深紅より前に、いつきは自分の手でおじさんを殺したつもりでいた。ところが生きていた。だから「今度こそ殺してやるよ」と。(このセリフの時の殺気がすごく好き)
 いつきにとって自分の両親を殺した張本人(育て親)を殺すことは復讐なのか?
 有賀がチェーカーは情報を握っているやつだから殺すな、といつきを制するけれど、「加々美」と言うその声にはいつきのことを思っての意が含まれているのでは…というのはこちらのただの願望だけれど。
 チェーカーが「だから(悠里淮斗を)始末した」と言ったところでいつきは後ろを向いて座り込んでしまう。
 だってまさか、自分のおじさんが悠里さんを殺した、なんて思いもしない。このあたりではもう怒りでいっぱいだったのだと思う。
 もしも。あの殺意、衝動のままにチェーカーを殺していたら。いつきはどうなっていたのだろう?一度目は葬式にも出たらしい。これは二度目だ。

・幸せになってほしい
 加々美いつきは十分すぎるほどサクラにふさわしい生い立ちだ。幸せになってほしいな。何度も言うけれどメサイアという世界そのものがメリバだし"一般的な"幸せはもう手に入れられない。でも幸せになってほしいな。「チャーチに入れたことは感謝してる」いつきは、ずっと一人で生きていくつもりだったところを有賀涼というメサイアに出会って、きっと幸せへの一歩を踏み出している。マイナスで生きてきた彼にとってゼロは幸せなのだ。両親が生きていた頃はプラスだったのかもしれないけれど、その頃の記憶はもう褪せているとしたら。思い出せないとしたら。有賀が自分のことをメサイアだと思ってくれているなら悩みなんてない、と言ういつきは幸せを知りつつあるのかもしれない。つくづく残酷な話だけれど。

 別に根拠とするセリフや描写があるわけでもない超個人的な見解だけれど、いつきちゃんは雨が似合うなあ。でも、ずっと雨に降られていてほしくない。
 小さな女の子にキャンディをあげたあの日は、たしかに晴れていた。

・余談
 加々美いつきと雲井蓮の生活をハピツリっぽいコメディタッチの世界観で見てみたい。ハピツリ。すごいハピツリしてほしい。それ以上でもそれ以下でもなくただそれだけ。


▽有賀涼と加々美いつき

 互いに銃口を向けているの、卒業ミッションかよ…だんだんハードルが高くなっている証拠だと思う。
 BGMも相俟って名シーンだったなあ。

 護がネクロ淮斗に話しかけるシーンで、目を覚ましたいつきが有賀の腕に手を伸ばしているのが暁乃刻における有賀涼と加々美いつきのエンディングだったと思う。そして互いを名前で呼び合ったことで悠久へ繋がる。
 まだまだ二人の間には問題、わだかまりがある。いつきの脳内に残ったチップ(暁の後これを取り除くことは可能なはずだけれど、どうであれこれに関する彼の判断および思考回路がわたしは好きだ)とか、何より間宮のこととか。
 いつきにとって間宮は"有賀さんが殺したメサイアであり、有賀さんの大切なひと"といったところかな、認識としては。一方有賀にとって間宮は"人を殺すことに疲れていた自分を救ってくれた救世主"であることに変わりはない。いつきがどこまで知っているのか。このあたりを考えると有賀に厳しいメサおたくになってしまう。スパイの疑惑をかけられたりメサイアを殺したり縛られたり縛られたりそもそも生い立ちだったり、もういい加減幸せになってほしいのだけれど。

 この二人はいろいろ教えてくれた育て親を殺しているという共通点がある。アッもしかして神北さん、それを知ってメサイア組ませたの…?
 ここまで書いて、気付いた。有賀といつきには幸せになってほしい。そして現状、いつきを幸せにできるのは有賀さんだけだし、有賀を幸せにできるのはいつきだけなのだ。

・名前で呼び合う
 メサイアイーブンが基本だ。借りを作ったら、その任務中に返すことが原則。…と銅ノ章で語られていたけれど、その後この概念はあまり出てこず。
 けれどイーブンは暗黙のルールではあるのかもしれない。対等でなければならない。それでやっとメサイアになれる。
 有賀が"いつき"と呼ぶのは分かる。呼んであげてほしい。
 でもいつきが有賀を"涼"って呼んだことにめちゃくちゃびっくりした。それは想定外だった。まったく考えていなかった。とは言え、銅で語られた"イーブン"の原則を思い出して少し腑に落ちた。何より、そうあるべきだよなあと徐々に納得した。

・ラスボスはサリュートだよね?
 敵には敵の正義がある、意志がある。どんなクズでもどんな悪役でも。敵および悪役を魅力的に思えない作品がことごとく苦手(あまり出会ったことはない)なのだけれど、メサイアはシリーズ通して敵が好きだった。
 とは言え、クズだったり悪だったりするイメージが強い。北=絶対的な倒すべき敵というイメージ。
 けれどサリュートは違う。なぜなら「僕らは暁を知り、黄昏を超えて行く」と作品のタイトルを語っているからだ。
 "サリュート"は辞書によると"祝砲"という意味があるそう。
 サリュートは今後おそらく北の正義を描くためのキャラクターになるのでは…と思う。有賀とサリュートはお互い何かを感じ取ったのだろう。だって名乗るなって五条さんに聞いたでしょ?有賀ぐらいのスパイが簡単に敵に名乗るわけない。だから、よくあるあれだ。つむ鴨の斎藤と半次郎だ。
 サリュート北の諜報員養成組織「ボスホート」の人間らしい。ボスホートはいわゆるチャーチだとして、有賀とサリュートは同格だ。
 それにサリュートチェーカー=いつきのおじさんのことをまだいろいろ知ってそう。上から始末を頼まれたわけだし。
 あとどう考えても中の人の顔が似ていることを製作側が利用しようとしているとしか思えなくなってしまった。絶対そうでしょ!!!!!
 というわけで、悠久のラスボス枠はサリュートだよね?

 そういえば、"サリュート"も"ボスホート"もそれんの宇宙開発にまつわる言葉のようだ。"チェーカー"は宇宙開発ではなく警察組織。
 悠久の舞台は宇宙になるのかな…衛星の向こうは宇宙だ…(???)

・有賀のメサイアは感情が分かる
 間宮は音で人の迷いや嘘が分かる。いつきはにおいで。感情を表に出すのがあまり得意ではないだろう有賀にはうってつけだ。

 そして思ったのだけれど。
 護が平気じゃないことが分からないいつきではないはず。それなのに、「問題なさそうじゃないっすか?」って。有賀を気遣っての発言なのか、護がいつきにすら悟らせなかったのか、はたまた。

 においで感情が分かるいつきが有賀を何度か試そうとする。(あのおどけた風がすごく好き)
 その必要がなくなったら理想的なのかもしれないなあと心の片隅で思う。

・妙に彼らとだぶる
 メサイアを失い続けた珀と、珀がたった一人のメサイアである鋭利。
 メサイアを自分の手で殺した有賀と、有賀がたった一人のメサイアであるいつき。

 ちなみに。珀は留年、いつきは飛び級、わたしはそう考えている。
 有賀の「一人で抱え込むな」は影青翡翠あたりで珀が鋭利に言った言葉だし、暁ラストのいつき「行こう」翡翠の鋭利「行こう」と重なってしまう。
 あと有賀がネクロいつきを見つけて「加々美、しっかりしろ!」といつきをつかんだ(?)ものの、ネクロいつきに首を取られたのは翡翠で言われた"メサイアに心をとらわれたが故の失態"では?と思ったり。

 だぶるなあ…。彼らのように卒業できますように。ひたすら祈っているよ。

・悠久へ
 唯一無二のメサイアになってほしいなあなんて言っていたら井澤さんのブログ。

でも、映画で加々美いつきという存在に出逢い今回初めて舞台でメサイアとして一緒に立てた事が本当に奇跡のようで僕の中で唯一無二の存在になってくれた。

暁 | 井澤勇貴オフィシャルブログ「yuu-style」Powered by Ameba

 簡単に卒業できるなんて思えない生きてチャーチを出れるかも分からない、けれど翡翠ぶりに"メサイア二人の卒業ミッション"が見れるのではととりあえずわくわくでいっぱいだ。


 間宮のことを語るのは極夜を見てから。


▽嘘と本音
 チェーカー役の荒木健太朗さんがGyao!でのインタビューで興味深い話をされていた。わたしはアラケンさんの言葉選びと思考回路が好きだなと最近しみじみ思う。

「この作品に出てくる人間が皆、嘘と本音を繰り返している。どこまでが本音でどこまでが本音なのか。僕はあなたが僕のことを分かっていることを、僕は分かっていましたよ、の連続。その折り合いが一体どこでたどり着くのか」

 インタビューを見返した上で暁を見ると、おもしろかった。たしかに嘘と本音を繰り返している。サリュートチェーカー。チェーカーといつき。いつきと有賀。護もDr.TENも一嶋係長も志倉次長もきっとみんなそうだ。

 暁から離れて、鋼ノ章の話。いつきはおじさんのことを「突然死んだとか言われてびっくりした」なんて言っている。嘘だ。自分で殺している。葬式にも出ている。おじさんの遺言に従って志倉さんに会いにきたのにまさか自分が殺したとは言えない、ということだろうか。そういえば深紅で有賀に対して「嘘」だと言っている。「有賀さんは俺に命を預けるつもりなんてないくせに」と。
 そして暁では有賀の嘘にいらついている。においで嘘が分かるんだ。いつきと"嘘"はまた考えさせられるテーマだなあ。


▽再び、卵メサイアについて

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 ともるくんに関して語るのはわたしにはむりだ。すごいとかそういう次元ではない気がする。
 一羽の鳥になった、という部分を読んですっっっごい腑に落ちたというか、卵メサイアの果てはこれなんだな…!!!!!!って思った。割れるときは一緒だって言っていたけれど、もうそんな心配もないんだ。ずっと一緒。永遠という言葉がこんなにも裏切らない関係って何なんだろう。すごいな、メサイアってすごいな。(永遠=悠久と思ってしまったのはさておき)

 そういえば、ネクロにデータ=淮斗と護の生きた証を流し込む時に護が「思い出してくれ。春斗のこと、俺のこと」と語りかける。ここでようやく春斗の名前が出てくるの、一気に紫微へと記憶を辿らされる。春斗の存在を抜きにしてこの二人を語ることはできない気がするので、暁でこのタイミングで春斗の名前が出てきてよかったなあって。

 卵組のことは消化できたつもりだけれど、ふとした瞬間にぐるぐる考えてしまいそう。でもまあとにかく、二人はずっと一緒。悠久へと繋がったのだ。


▽周グエン衝吾

 正直言って、だいぶいやなやつだなあと思う。自分より上の人(志倉さん)にはピンとして、自分より下だと見定めた人(サクラ候補生とか)に対しては若干見下した様というかあまり態度がよくない。
 けれど志倉さんに対する姿勢とか、仕事ぶりは、嘘偽りないのだと感じた。ラスト、国防隊のやったことを有耶無耶にするなんて、と涙を流す。正義感のある子なんだと思った。あのシーンは国防隊に何も罰が下らない悔しさからくる涙が志倉さんと話しているうちに"もはや何故泣いているのか分からない"涙になっている。志倉さんが五係を「見限ってなんかいない」と語るところにも繋がっていて良い。そういうの、わたしが好きです。
 周グエン衝吾というキャラクターは伊藤さんが演じているからこそ憎めないどころかどこか惹かれてしまうキャラクターになっていると思う。特番のふわふわ感をわたしは忘れない。さっそくメサイアシリーズの役とキャストがリンクする性質がもろに溢れているなあ。

 志倉さんが国防隊の不正を暴きたいグエンに言った「血は争えないか」が気になって仕方がない。極夜でいろいろと明かされるっぽいので震えながら待っている。周家の罪とか公式が言い出してぼくはわたしは…。

 
▽ざっと感想(適当)

 たぶん随時追加。

・舞台美術がいい
 舞台セットが好き。スタイリッシュ!それに一度見終えてからは、あのセット自体が悠里淮斗に見えてくるのだ。だから常に舞台全体に彼はいるの。
 舞台美術がいい舞台はだいたい当たりだという説がいよいよ濃厚に。

・カーテンコール
 "カテコでの座長の顔"というのは今後どの作品でもテーマにしていきたい。
 東京楽のカテコしか見ていないのだけれど、ともるくんの表情はつむ鴨カテコのつねくんに似ていた。ともるくんのブログを読んで、それは絶対的に違うものだと理解したけれど。でも似ていた。晴れやかというか、何なんだろう…。

・一嶋係長と神北係長代理
 黒子にホウキで尻を叩かれた時の対応がこの二人の関係を表しているように思えた。わたしたちは黒子を介してこの二人を見ている。早く並んでください。

・"同期"
 護と有賀が銃を交換するの、最高に胸アツ。サクラの掟破りにならない?とか思ったこともあったけれど、そうじゃないんだ(何が)
 この二人の関係はそれこそ言葉にできない。好きだ。

・護、教育者として戻ってこない?

・Dr.TEN
 ラストの北の工作員を淮斗が乗っ取ることができたのは、Dr.TENが北でプロジェクトネクロマンサーのデータを元に開発したAIだからではないかとちょっと思った。
 あとはなんかもう、安里くんすごい。ハイネ楽しみっす!

チェーカ
 アラケンさん最高です。

・OPのいつきちゃん好きだよ
 好きだ。

・小暮洵と一嶋晴海
 OPの眼鏡に触れる仕草だったりラストの意味深なシーンだったり、絶対なんかある。今思えば一嶋さんも感情が欠落しているのでは?

・加々美いつきが最高に好き
 好きだ。


▽リアリティとは

 今作を見て杉江くんはすごいなと何百回も思っている。総じてすごいからどこがどうとか何を言っても何かが足りないのだけれど。
 まず前半でいつきの荒ぶる感情の変化、その繊細さ加減がすごいなと思ったのと、後半では"悠里淮斗を掌握したつもりでいるが実は僅かにその魂の破片が残っているネクロマンサーというインターネット上に棲む生命体"を演じているのがすごいなあと感動した。ネクロマンサーは死者達の声を代弁していると言うが、「愛故に人を憎み、愛故に人を殺す」というのは間宮のような人物の歴史から"学習"したのだろう。そういう演じるにあたり難しいであろうネクロマンサー。これを何ら違和感なく、絶妙なバランスで、見せていただいたと思う。あとネクロいつきの喋り方とか、廣瀬さんの演技の癖を取り入れている件について詳しい話を聞きたい。

 有賀に対しておじさんのことを隠している様子や、名前で呼んでくださいって有賀に顔を向けずに言うところ(超かわいい)とか、有賀を試そうとするところとか、繊細だなあって。かと思えば"悠里淮斗を掌握したつもりでいるが以下略"を演じたり、目覚めた時の様子だったり、最後に「涼」って呼ぶところだったり。公式プロフィールを見たら特技欄にパントマイムって書いてあった。超納得。

 それとリアル感半端ないなって話。おもに雲井蓮とのシーン。
 両親を殺された。その張本人を殺したと思っていたが生きていた。そして、「今度こそ殺してやるよ」と。
 健全な時間を生きる人がそういう血みどろな部分を演じるって、一歩間違えればリアル感に欠けてしまう。けれど、今作の加々美いつきからはリアル感で溢れていた。憎悪や殺意、そういうものが目の前にあった。…と言っても、配信でしか見ていないので画面越しで感じたことだ。生だとどうなるの?!悠久乃刻が楽しみだ。

 ところでそう、リアリティの話。わたしはメサイアシリーズをものすごい作品だと絶賛しているし賛美しているけれど、フィクションだと割り切っている。いろんなズレとか矛盾とか正確さとか、そういうものを割り切っている。だってそれ以上に人間ドラマが凄いからどうでもよくなるんだよ。
 そんな中でメサイアシリーズの役者の皆さんは回を重ねるたびに"目の前にある出来事"だと感じさせてくれる。リアリティがあるからぞっとする。
 杉江くんの加々美いつきがとんでもなく好き。もっと論理的に語り終えたかったけれどこれに尽きる。ちなみに刀ステのレポを読み返していたらわりとずおずおの話をしていた。戦闘狂って感じで好き!とか言ってる過去の自分に超頷いている。わかる。


▽ざっくりまとめ
 メサイアはいつもそうだけれど、今作もやっぱりみんなすごかった。語彙力がないのですごいとしか言えない。すごい。
 
 個人的には、杉江くんとあらけんさんに惹かれた。スタミュミュチケット難民(追加公演以外も一般先行やってくれると信じていたのにないからだよ。先に言ってくれよ。おこだよ)なのだけれど意地でなんとかしよう。杉江くんに関しては上記の通り。わたしの中では五本指に入った。そして片手で数えられるうちはDDではないって話を思いついた(どうでもいい)
 きっとわたしだけではないと思うので、こちらを見よう。

 あらけんさんに関しては最高だっていう感想しか出てこないのだけれど、うーーーん…こちら。
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 考える余白が多いのはあらけんさんによるものだと、そんな気がする。わたしの彼に対する好きは平野良氏に対する好きと一緒だなと、ふと思う。突然すぎるなと思ったけれど彼は堤嶺二だ。


▽極夜へと

 映画と舞台で微妙にズレが生じていることはメサイアシリーズを語る上で承知しておかなければならない。言い換えれば黙認。
 …と思っていたのだけれど映画と舞台では違うとついにキャストさんの口から直接語られた。誰だったか曖昧なのでそこは割愛。
 メサイアという世界が1ミリぐらい違って、でもこの二つの世界で紡がれる歴史は同じ…みたいな。その映画と舞台の違い=きっかけは林さんと八重樫さんではないかなあ、と。舞台で名前すら出たことないんだ。

 ところで、その極夜でおそらく様々なことが起こる。暁を踏まえた半年前の世界だとしたらいろいろと怖い。こちらが暁を知っているということを意図されて描かれていたら。
 いつきの「白崎さんまでいなくなっちゃたら、間宮さんに悠里さん、同期みんないなくなっちゃうっすね」の直後の世界。そういえば改めてあらすじを見ると有賀といつきに関して触れられていない。たぶんそんなに描かれないと思う。(そう思わないとしぬ)だってチャーチに二人きりじゃん?(違う)同期みんないなくなっちゃうとかいつきちゃん言ったけど、そうなった世界なんだな…。
 暁では悠里淮斗の失踪を元にすべてが繋がったけれど、極夜は「間宮レポート」により一つに集められていくそうだ。こわい。

 個人的には三栖と周の話、珀と鋭利が戻ってくるということで映画館に通う気満々なのだけれど平日でも行けるような立地の映画館で上映するかはまだ分からない。かなしい。

  わたしとしては大千秋楽で暁を知ることができたはずだが、まだ極夜を見ていない。暁を知った上で極夜に目を向けなければならないのだ。

メサイア暁乃刻について、そのいち。

 副題、"メサイアという残酷なシステムおよび作品への賛美"
messiah-project.com

 Gyao!さんでのアンコール配信、三日間。6周しました(まじかよ)
 ※ネタバレあり 個人的見解の覚え書きです。全然まとまらないからできるところまで。あと最後にひとつ思うところを。

 まとまらないのはだいたい加々美いつきのこと、有賀と加々美のこと、その周りのことです。別途で書き出せたらいいな。
 暁を見てわたしの身に起こったことは、とうとうえりオフィスさんのtwitterをフォローしたことと今現在キャストサイズチャンネルに入会しようか迷っていることです!!!


▽プロジェクトネクロマンサーと、これに関する今回のあらまし(考察込み)

 一嶋係長と、同期の雲井蓮で始まったプロジェクト。完全なスパイをつくるため、AI(人工知能)を開発していた。劇中ではいいように言っているけれど要するにGなんだなって思った。でもGは人間だけどこちらは人工知能だからいいのかな。
 制限値を設定しながら学習を繰り返させることにより、AIは成長を繰り返した。そしてある程度の成長が確認されたところで、雲井の裏切りによりプロジェクトネクロマンサーは北方連合へ。雲井はもとよりそのつもりだった。この裏切りの際、雲井は死を偽装している(=時系列はおそらく鋼ノ章)。そして学習の制限値を開放し、爆発的な成長をはかった。しかし成長しすぎたAIは制御不能に陥り、ネットワークに棲む生命体となった。ちなみにこれをネクロマンサーと呼んでいる。
 またプロジェクトネクロマンサーの一環(?)で、雲井は脳にマイクロチップを埋め込むことで死体をも操ることができるようになっていた。これが今回の話での新たな敵。そういえばGが全く出てきませんでした…。
 もちろん死体でなくても操ることができる。雲井蓮は加々美いつきのおじ、育て親だ。雲井はいつきの脳にマイクロチップを埋め込んでいた。そして"遺言"としていつきがチャーチに入るよう仕向ける。これはいずれチャーチを、サクラを壊滅させるためだろう。時期がきたら、ネクロマンサーにチャーチのシステムを乗っ取らせ、そこからいつきの身体にネクロマンサーをおさめるのだ。
 そして"ネクロマンサーをチャーチに"の段階をクリアするために雲井は悠里淮斗を利用しようとした。
 ところが雲井の計画通りには行かず淮斗は協力を拒否。しかしその後淮斗がネクロマンサーと融合。そしてネクロマンサーは悠里淮斗を掌握した(つもりでいる)。劇中のセリフを借りるならば"悠里淮斗の死は無駄となった"のだ。ところが融合していることに違いはなく、護に会いたいという淮斗の意思が影響したのだろう。偶然にもネクロマンサーはチャーチのシステムを乗っ取った。そして、"運良く"雲井の計画は元通り。いつきを挑発し、自分のもとへ会いに来させて、五係に自ら拘束されることでチャーチに入り込んだのだと思う。(これはいつきが雲井を殺さないという自信があったからだろうか?)無事にネクロマンサーをいつきの身体を利用して捕獲。ここからの計画は何がしたかったのかは謎。


▽卵メサイア共依存の果て

・事の顛末は
 ネクロマンサーの捕獲ミッションに参加していた淮斗。そのミッションの最中にプロジェクトネクロマンサーの企画立案者であるチェーカー(雲井蓮=いつきのおじさん)に仲間にならないか、と誘われる。一方護は別ミッションにより北方連合のアジトに潜入するも、敵(=脳にマイクロチップを埋め込まれた死体=スペクター)に拘束される。護が拘束されたのは全て、チェーカーの思惑によるものだった。瀕死状態の護の姿を淮斗に見せて、彼を助けたくば言う通りにしろ、と。
 しかし淮斗は「断る」と言った。これについてチェーカーは淮斗なら「悪魔にでも魂を売ると思っていたのだが」と。そしてチェーカーは淮斗を始末しようとし、瀕死状態になった淮斗はチャーチの奈落=公安五係科学捜査班のDr.TENのもとに駆け込んだ。Dr.TENがプロジェクトネクロマンサーに秘密裏に関わっていたこと、ネクロマンサーが人間の脳と融合できることを知っていて、淮斗はもう自分は助からないことを悟りネクロマンサーと融合することを志願する。
 ネクロマンサーと融合して、護を拘束している敵を操り、護を守ることが淮斗の目的だった。護は「大丈夫だよ。護のことは僕が守る」という淮斗の声を聞く。
 淮斗の"第一発見者"は一嶋晴海公安五係係長、豪徳寺天心(=おそらくDr.TEN)
 護は瀕死状態から復帰すると、淮斗の"失踪"を一嶋係長の口から聞く。

 半年後。依然として淮斗の行方を掴めない護は卒業ミッションを言い渡される。それは直前のミッションで動きを制御されて自らを撃つことで死んだ外交官(実はスペクター)が言い残した「ネクロマンサーに気をつけて」の真相解明。代理メサイアに黒子(=百瀬多々良)。
 チャーチのシステムがネクロマンサーに乗っ取られる。ハッカーには特有の癖があり、それがこのネクロマンサーと悠里淮斗とが一致していると、Dr.TENが言う。一嶋係長はプロジェクトネクロマンサーの件は「私が預かります」と言うも、引き下がりたくない護。

 国防隊の陰謀により五係が事実上解体させられたり、チェーカーにより脳にチップを埋め込まれていたいつきの肉体がネクロマンサーに乗っ取られたり、カオス状態のミッションの最中に半年前の事実をチェーカーから聞かされる。つまり淮斗が「断る」まで。チェーカーはメサイアなど、そんなものだ!」と。
 それを聞かされた護は、淮斗の死の真相を悟り、黒子から事実を全て聞く。

 極限状態でのミッション。でも護は「淮斗と一緒なら」と。
 戦争は消えないと学習したネクロマンサーは人類を滅亡させようと世界の主要都市のシステムをロックし、核ミサイルを発射させようとする。
 しかし護は一嶋係長とDr.THREEに頼み、ネクロマンサーに自分と淮斗が生きた証を流し込むことでネクロマンサーの無力化を図る。
 データを流し込まれたネクロマンサーは世界をアンロック、無力化。

 護はチャーチを卒業し、サクラとなる。
 サクラとなった護が大勢の敵と戦っている時。倒した敵の一人がジジ…と電気を走らせて起き上がる。それはおそらく、淮斗。

・「ずっとだよ」
 自分を守り死んだ相手がいて、貰ったこの命で生き続ける、ああ…王道を歩んだなって思った。そして、なんだか妙に引っかかって、言いたいことはいろいろあったのだけれど、それ以前に事実を受け入れることができなくて。考えることを脳が拒否していたなあ…と。
 でも3周目でようやく、ラストシーンでの淮斗の影は、敵の身体であり、それを淮斗が乗っ取ったのだということに気付いて。
 サクラとなった護と共に戦うために、敵の一人の体を乗っ取ったんだって。ネクロマンサーは元々淮斗の脳と融合しているのだから、淮斗と護の生きた証というデータを流し込まれたことできっと悠里淮斗としてネットワーク上に存在する生命体になったのでは。だから護がサクラとして鋼の意志を貫いている時、いつだって「護のことは僕が守る」んだ。
 翡翠ノ章で淮斗は言いました。「一番深いところで繋がり合ってる、そんな関係になりたいんです」本当にその通りになったね。共依存の果てを見たって思った。最初は王道過ぎるし、そ、そっかあ…って感じていたけど、淮斗はいつだって護のそばにいるし、正義の味方である護を守り続ける。護は淮斗に助けられた命で、いつだって淮斗を感じながら、生き続ける。戦い続ける。
 これが卵メサイアの、彼らの果てだと思うと、よかったな…としみじみ思います。究極のメリバだなと思うけれど、だってメサイアという作品そのものがメリバですからね!
 書き出すと思うところが止まりません。

・今思うと
 翡翠ノ章(淮斗)「僕と護なら海棠さんと御津見さんを超えるメサイアになれる、そう信じています」――なったと思う。正直、超えた。さすがにずるいのでは?(号泣)
 鋼ノ章(護)「こいつの全部は俺のものだし、俺の全部はこいつのものだ」――淮斗が護を助けるためにネクロマンサーと融合した時点で淮斗の全部は護のもの、不変の事実となった。
 鋼ノ章(有賀→淮斗)「同じ景色を見たいと、そう望めばいい。自分のメサイアと」――淮斗の成長の大きなきっかけとなった言葉だと思う。そして成長の果てが今回の暁乃刻なのだろうな…。

 ※随時追加できたらいいなと思います。


メサイアを思う

・超個人的な感想
 暁乃刻でつくづく思ったのが廣瀬大介ってずるいな…って。いやあ改めて。そう思いました。ずるい、あの声ひとつひとつがずるい…!
 稽古場に行ってらした時から声の出演あるかなあと思っていたので、今回のこの形はすごく嬉しかったです。それに心にぐっっとくる声…ずるいですね……ずるいよ……
 しかも「大丈夫だよ。護のことは僕が守る」あたりは台本にないセリフですよね。演出の西森さんが"自由に"という指示を出していたと聞いて、ああ…ってなりました。
 最後の「護…」という声が、なんかねもうね、やっぱりずるいな!!!って感じですね(語彙力とは)この作品を、芝居を楽しむという視点で見るなら、廣瀬さんの淮斗をこんなにも楽しめるとは思わなかった。贔屓目かもしれませんけど、すごいですね…ずるいよ……

・そして卒業
 大千秋楽(大阪)での廣瀬さん登場サプライズ。メサイアって…いいな……以上です。心よりおめでとうございます。
 卒業する二人が真ん中で花束を抱えている集合写真を翡翠ノ章で見た。今回、暁乃刻でもそれが見ることができるなんて思っていなくて、その写真を見たときはほんとうにうれしかった。それに深紅の四人の写真も。正直ここまで予想していなくて、感動しています。


 幸せな景色が広がっていたのだと思う。同時に残酷だとも思った。翡翠で生メサイアを経験してからずっと思っていたのが、役とキャストがリンクしているということ。あくまでこちらが勝手に思っていただけだったのが、新シリーズになってからは公式側がそれを前面に出してきた。メイキングや座談会などで役と共に成長していくという話は聞いてきたものの、"一度貰った役を他の誰かが演じることはなく代役を立てない"という話や"役と本人を織り交ぜていく作業をする"という話をキャストの方々の口から聞くようになったのはこの新刻シリーズから。本当にそうなんだとも思うし、何も驚かないけれど、改めてそうだと言われるとなんだかこの作品の在り方と覚悟を見せられているようで。
 キャスト変更がないとか、それがあまり許されない空気とか、続編とか、我々ファンが望んで声を上げてはいるけれど、それってかなりくるしくてしんどいことなんだなあとメサイアに触れて思いました。見ている方がつらいこともある。続編は常に前作を超えていかなければならないし、続けば続くほどハードルが高くなる。そしてキャスト変更がないということはどういうことか、それは暁乃刻がすべて教えてくれた気がする。
 だからこそメサイアという作品がこの世に存在していることが奇跡のように思えるし、神秘的だとすら思う。多くの方々のたくさんの力があって、ようやく立っていられる。素敵な作品だ。わたしはカーテンコールでの拍手こそ一番の感謝だと思っている。最も新鮮で、直接届けることができるから。メサイアは配信でも見ることができるが、わたしは感謝の意を伝えるために劇場で観たいと思った。もちろん生メサイアの迫力を感じたいし、舞台なのだから生にこそ価値がある、そういうことも含む。けれど。とにかくカーテンコールで拍手を届けるために、この凄まじい作品に対して1ミリでもいいから何かを返したい、そのために。まずは悠久乃刻に向けて、歩み出そう。

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(続いた)